<上海だより>ちまきの季節 旧暦の端午節を迎える準備始まる
日本でも馴染みの深い「ちまき」。日本でも端午の節句に食べるものとして定着していますが、日本は新暦に該当する日にちで祝う一方、中国では旧暦をもとに端午節を迎えます。旧正月でもおなじみの旧暦です。2016年の端午節(旧暦の5月5日)は6月9日、中国の街ではちまきムードが漂い始めました。
上海市内でも、スーパーや路面の店などでちまきを売り始めている光景を見かけるようになり、季節感が漂います。また、出来合いのちまきを自宅で加熱して食すのも多いですが、自宅で手作りちまきを作り近所におすそ分け、という家庭もまだ多いです。手作りの場合、中の具材の位置がやや外側だったりしますが、そこにこそ手作りの温かさを感じます。
中国国内でもちまきの形状や素材、中の具材は異なりますが、上海近郊のちまきは日本にも伝わるいわゆる「中華ちまき」という類のものです。具の素材で言えば、あんこ入りや、角煮入り、卵の黄身が入ったもの、さらにはナツメ入りなど、本当に多種多様なちまきがあります。 また、日本においてちまきについて深く考えることは少ないと思いますが、実はとても古い歴史を持っています。端午節にまつわる一説では、秦の始皇帝が生まれる前の戦国末期、秦によって楚の国都が陥落した際に楚の詩人であり政治家・屈原が嘆き悲しみ、5月5日(旧暦)に汨羅江に身を投げたことで、付近の人々が竹筒に入っていた米を河に撒き弔った物語があります。 文献的には漢の和帝の時代、『説文解字』(西暦100-121)という書においてちまきについての記載が残されており、端午の節句にちまきを食す最も初期の記載は『史記』の「第十二 孝武本紀」において確認されています。
昨年末から今年の前半にかけて、中国で異例の大ヒットとなった時代劇ドラマ『華月伝(The Legend of Miyue)』では、まさに楚が秦に討たれた時代を描いており、前述の屈原も登場します。今年の端午節ではその物語に思いを馳せながらちまきを食べる人たちも例年に比べれば増えるかもしれません。日本における「端午節」はすっかり「こどもの日」として定着しましたが、旧暦ではこれから迎える「端午節」。日本でも季節と過去の逸話を思いながらちまきを食すのも風流かもしれません。