髙田健太が赤裸々に過去を語る理由は? 『プデュ2』出演から借金生活まで……K-POP界への挑戦のリアル
『PRODUCE 101 SEASON2』に出演していた髙田健太が『日本人が韓国に渡ってK-POPアイドルになった話。』を出版。その赤裸々な内容が話題になっていた。リアルサウンドでは、今回の本を出版した経緯から、これからの展望までインタビュー。『PRODUCE 101 SEASON2』唯一の日本人練習生として参加していた髙田の目に現在のK-POPはどのように映るのか。詳しく話を聞いた。(編集部) 【画像】髙田健太、赤裸々な内容が好評な書籍 ■TEEN TOP・RICKYに出会いそのまま韓国へ ――今年1月にエッセイ『日本人が韓国に渡ってK-POPアイドルになった話。』を出版されましたが、反響はいかがでしょう。 髙田健太(以下、髙田):この本で初めて告白することも多かったので、ファンの方には「あの時こうだったんだと答え合わせができた」という声をいただきました。この本で僕のことを初めて知ってくださった方も多くて、それも嬉しかったです。また、僕と同じような経験している方には「元気をもらいました」と言ってもらえて、本を出す時に掲げた「誰かの力になる」という自分の目標が達成できたと思っています。 ――私も健太さんがJBJでデビューしたころからインタビューをさせていただいていますが、初めて知ったことがたくさんありました。 髙田:本当に……ね(笑)。当時はアイドルとして、「今伝えるべきことじゃない」と思ったことは、ちょっとオブラートに包んでいましたから。 ――アイドルを目指した道程は書籍にも書かれていますが、小学生時代に再結成したピンク・レディーに触発されたのを原点に、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)のイモトアヤコさんのようになりたくて芸人養成所の願書まで書いた健太さんが、TEEN TOPのRICKYさんに憧れて、韓国へ。その原動力は何だったのでしょう。 髙田:僕と同い年のRICKYさんはキラキラしているのに、自分はただの田舎の高校生で。すごく差を感じて、RICKYさんのいる場所を目指したくなったんです。 ――でも、何のあてもなく韓国に行く不安はなかったのですか? 髙田:不安は、ほぼゼロでした。僕の中では、何かに手を引っ張られた感覚だったんです。今考えると、これが運命だったのかな? 今でも衝動的に動くことはあるけれど、若かったというのも大きいですね。振り返ると、自分でもびっくりします(笑)。 ――韓国で事務所の練習生になって、そこからWanna Oneを輩出したサバイバルオーディション番組『PRODUCE 101 SEASON2』(以下、『PRODUCE 101』)に参加。日本人練習生は健太さんだけでしたよね。 髙田:はい。韓国に行ってまだ1年ほどで、韓国語も全然できなくて。他にも日本人がいると楽観視していたら、一人だった(笑)。初回放送で101人が椅子に座って、日本人が僕だけだとわかった時に、覚悟が決まりました。 ――番組では厳しいレッスンの様子が放送されましたが、大手事務所のような練習環境にいなかった健太さんにとって、一流トレーナー陣の下で倒れるまで練習ができるというのは、喜びだったのでは? 髙田:そうなんです! 体は疲れたけれど、「こんなに幸せでいいの?」というくらい幸せでした。睡眠時間が1時間でも「ピンク・レディーみたい!」とワクワクしたし、嬉しいオーラが出ていたから負けなかったのかな。毎日が楽しくて、辛いこともなかった。『PRODUCE 101』は、良くも悪くも僕のベースになっていますね。大変だったのはカレーの日くらい。生活の優先順がすべてAクラスからなので、下のクラスになると具ナシのカレーになっちゃう。それくらいでした(笑)。 ■『PRODUCE 101』出演~ユニットデビューの反響 ――当時の『PRODUCE 101』は「社会現象」と言われるほどの人気でしたが、渦中にいた健太さんにはどう見えていたのですか。 髙田:不思議でした。当事者という感覚もなくて。『PRODUCE 101』が人気なだけで、僕の人気ではない。僕は、ただ頑張っていただけでしたから。 ――『PRODUCE 101』では最終24位。デビューしたWanna Oneはモンスターグループと呼ばれ、K-POP界を凌駕しました。6月に番組が終わった後も『PRODUCE 101』熱は冷めずに、ファンの間でデビュー圏外のメンバーから、Just Be Joyful(本当に望ましい組み合わせ)=JBJという仮想グループ構想が持ちあがり、健太さんの名前もその中に。その熱が大手レーベルや各人の所属事務所を動かし、10月にJBJがデビューを果たしました。事務所もバラバラだし、ファンのアイデアがベースというのも異例だし、実現するまでの期間、不安じゃなかったですか? 髙田:もちろん、不安はありました。でもファンの方の熱やメッセージを見て「もう僕だけの夢じゃないんだ」と実感できた。これは本にも書いていないのですが、ファンの皆さんの運動が活発化したころ、名前が挙がったメンバーで「集まろう」となって、JBJを実現させるために僕たちだけで戦略を練ったんです。そして、その第一歩としてメンバーの集合写真をSNSに上げました。そこからです、具体的に話が動き出したのは。 ――ファンの声が上がって、当事者たちが乗っかって、大人たちが動き出したんですね。 髙田:そうです。だから事務所が動く段階になった時には「来た、来た!」という感じで。もちろん嬉しかったけれど、どこか客観視している自分もいました。 ――アイドルになれたという実感が持てたのは、いつだったんですか。 髙田:デビューショーケースですね。オープニングで、イヤモニをしていても歓声が鮮明に聴こえてきたんです。その歓声の圧が全身に響いて、ファンの気持ちと僕らの気持ちが共鳴したのを感じました。ほんの数十秒の出来事だけれど、すごくよく覚えています。 ――でもJBJって、194日しか活動していないんですよね。 髙田:はい。でも短いという感覚が、僕ら当事者にはなくて。充実していて、心の底から楽しかった。だから忙しくても、「こんなはずじゃなかった」という不満はなかったです。 ――夢が叶ったんですものね。 髙田:でも『PRODUCE 101』の時同様、JBJでもやはり当事者という感覚がなかったんですよ。自分が評価されているというより、自分がJBJという船に乗らせてもらっている感覚で、どこか他人事のような感じだったかも。 ――JBJとしての活動期間が終わって、他のメンバーがソロ活動を始める中、健太さんはJBJメンバーの(キム・)サンギュンさんと2人で活動することになります。 髙田:2人の活動が始まってからの方が、当事者意識が大きくなりました。JBJの中でもそれまではあまり接点のなかった二人だったから不安もあったし、JBJとしての評価を超えなきゃいけないというプレッシャーもありました。だからこそ、僕たち自身がこのチームをどうにかしなくちゃいけないという気持ちが芽生えたんでしょうね……。JBJは大きな会社が大きなビジネスとして回している大きな船で、僕たちは乗っているだけでよかった。けれど、僕たちは自分で舵を切らなければならなかったので。 ――2018年7月に2度目のデビュー。現在は以前の事務所を離れてKENTA・SANGGYUNとして活動が続いています。不安の中で始まったコンビも、名コンビになりましたね。 髙田:ついこの間も思ったのですが、事務所との契約解除問題が持ちあがった時に、ユニット活動を止めることもできたんです。あの時、どちらか一方が事務所に残っていたら、僕らは単なるメンバーとしての関係性で終わっていたと思うんです。でも同じ決断をしたことで、また新たに自分たちで、今度は船を作るところから始めることができた。ユニットデビュー後も二人でドライブに行ったりして仲は良かったけれど、今はお互いがなくてはならない存在になりました。 ――すごくいいお話ですね。本の帯にも「6600万円の借金が残った」と書かれていますが、そうなっても二人でやっていくことが正解だったということですよね。 髙田:「あの時あの選択をしていなかったら、どうなっていたんだろう」と今も思います。否定的に捉える方もいると思いますが、僕たちの中では正解だった。人生って、面白いですよね(笑)。僕は何が起こっても「おもろっ!」と思ってしまう。この感覚って普通じゃないみたいだけれど、借金があっても悲壮感はないんです。 ――ポジティブで良かったです(笑)。日本でも今、サバイバルオーディション番組がブームですが、経験者はどう思っているのか聞きたいです。 髙田:サバイバル番組って、人の感情をエンターテインメントにしている側面もあるじゃないですか。社会経験もほとんどない子たちの感情を消費するのは、僕の中ではちょっと疑問なんですよ。僕自身もそこから出てきているし、感謝もしているけれど、少し考える必要があるんじゃないかな、と。