京阪神を爆速で結ぶ…あの無双の新快速にも「苦戦」の時代があった 不動の地位を築いたのは「民営化後」
運賃の値上げが追い打ちに
それでも総合的に見て、新快速が優位に立つには時間を要しました。最大の要因は、国鉄当局による運賃値上げです。当時の国鉄は膨大な債務に悩んでいました。その結果、運賃値上げで何とかカバーしようとしたのです。 国鉄は1978年から民営化直後の1986年まで、断続的に運賃値上げを行いました。その結果、国鉄と私鉄との運賃差が拡大したのです。あまりにも運賃差が拡大したので、国鉄はライバル区間を安くする特定区間の導入や、割引切符の販売など、懸命な努力をしてきたのです。 1986年当時の京都~大阪間における国鉄の普通運賃は、特定区間の適用により510円でした。一方、京阪(三条~淀屋橋)は310円、阪急(河原町~梅田)は300円でした。 参考までに、現在はJRが580円、京阪が430円、阪急が410円です。国鉄時代の方が運賃差があったことが、よくわかります。 また、国鉄時代の新快速は内側線(電車線)を走っており、停車駅が少ないわりには私鉄特急との間に、圧倒的な所要時間差はありませんでした。現在のように、外側線(列車線)を走るようになったのは、1986年11月ダイヤ改正以降のことです。ようするに、新快速が今日のような不動の地位を築いたのは、民営化後ということになります。 (まいどなニュース特約・新田 浩之)
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