元首相の命を奪った銃弾で、胸の議員バッジは粉々に砕け散った 拾い集めた捜査員、受け取った昭恵さんは何を思ったか。「弔い合戦」の最中、突然の取材に語ったこととは
昭恵さんの言葉は続いた。国葬の数週間前、奈良県警の鬼塚友章前本部長や県警捜査員らが東京の自宅を訪れ、木製の箱に入ったバッジを持ってきてくれたこと。バッジに銃弾が当たり、割れてしまっていたと説明を受けたこと。昭恵さんは鬼塚氏らに「ありがとうございます」と感謝を伝えて木箱を受け取り、国葬で飾られた後は自宅で大切に保管していること…。 砕け散った議員バッジは結局、元の形には戻らなかったのだという。奈良へと向かう新幹線で、私は昭恵さんの言葉を何度も反すうしていた。 ▽取材を終えて 安倍氏は、私が小学校に通った頃から大学生になるまで首相だった。「安倍政権下で育った」という感覚があるからか、さまざまな事象の中心にいた安倍氏の象徴とも言える議員バッジが割れたという事実は、本人が亡くなったということと同じくらい印象に残った。ファーストレディーとして安倍氏を支えた昭恵さんが、割れたバッジを受け取ったときに何を感じたのかについても、取材したいと思った。
とはいえ昭恵さんも一人の遺族であり、これまで全く面識もなかった。取材は正直ためらわれたが、「話を聞かせてほしい」という思いだけでも伝えたいと考え、手紙を書いて渡した。 山口で聞けたのは結局、バッジにまつわる事実関係だけだった。胸の内に迫るにはまだ早すぎるかもしれないし、言葉になる日は来ないのかもしれない。事件から1年を迎えて、昭恵さんがかけてくれた「今はまだお話しできないんです」「必ず連絡します」という言葉を改めて思い起こしている。