分断の時代に寺山修司から学ぶ“挑発”と“物語化”のワガママ処世術
なぜいま寺山修司なのか?
「なぜいま寺山修司なのか」というテーマでひとつ書いてみて欲しいという光栄な依頼をいただき、今こうしてここに筆を走らせているわけだが、いざ書き始めると言葉がひとつも出てこない。「なぜいま寺山なのか?」なんて、生まれてこの方一度も考えてこなかったのである。「なぜいまなぜいまなぜいまなぜいまなぜいまなぜいま」頭の中で反芻するうちに、私の中にある一つの結論が浮かんだ。 「寺山は、いつの時代も普遍だ」 お気づきだろうが、試合終了である。しかし、これでは原稿料に見合った仕事にならない。ギャランティに見合う仕事をできなかった者に残された唯一の道は、失業である。というのも、私のような一介のテレビマンが「寺山修司」というあまりに巨大な固有名詞を語る仕事をいただいたのには、ある特殊な経緯がある。 私が企画・プロデュースした「TBSレトロスペクティブ映画祭」が、2024年4月26日より、東京はMorc阿佐ヶ谷で開催される。これはTBSの倉庫に眠っていた貴重なドキュメンタリーフィルムを引っ張り出してきて、デジタル修復して全国で上映するという映画祭だ。この第1回が寺山修司特集。寺山が1964~67年にかけて構成を担当した伝説的テレビドキュメンタリー「あなたは……」や「日の丸」を上映する。この映画祭に際して、身に余るような執筆依頼を頂いたのだった。 しかし、困った。寺山が生前にこなした膨大な仕事を一つ一つ紐解いても、「寺山修司」という知の巨人の本質と普遍性に迫ることはおそらく不可能だ。そこでいっそ私は、今回上映する60年代のテレビドキュメンタリー数本と、執筆者である私自身についてのみに絞って書くことで、寺山が私個人にどのような影響を及ぼしたかを論じ、極私的な視点の先に普遍性を見出すことに賭けようと腹を決めた。ある意味で寺山修司的なアプローチでもあるこの試みに、しばしお付き合いいただきたい。
第1章 “勝敗”にこだわる作家・寺山修司
今回の映画祭で上映される寺山のテレビドキュメンタリー5本のうち3本が、物事の“勝敗”をテーマにした作品である。以下に、その3本を紹介したい。 1964年7月14日放送の『中西太 背番号6』は、詩的なナレーションが光るスポーツドキュメンタリーの先駆的作品。主人公は、若くして西鉄ライオンズの監督となった天才野球選手、中西太。西鉄ライオンズ対東映フライヤーズの試合の実況中継に、貧困から這い上がった中西の栄光と孤独に満ちた半生を絡ませていく。「プロ野球のスカウトというのは今様の人買いであり、プロ野球の球場は、買われた若者たちの人生を懸けた孤独な劇場なのである」という冒頭ナレーションがいかにも寺山らしい初期の傑作だ。 同年10月13日放送の『サラブレッドーわが愛―大障碍の記録―』も、競馬を愛する寺山が手がけた躍動感あふれる意欲作。10月11日、千葉県中山競馬場で行われた大障碍レース。フジノオーとタカライジンの対決を軸に、騎手、調教師、厩務員、そしてサラブレッドの人生を描く。この作品も、「この日競馬ファンたちは馬券を買うのではない。財布の底をはたいて、自分自身を買うのである」という笑えるくらい寺山らしいナレーションで幕を開ける。 そして翌年1965年、10月5日・12日と2週に渡って放送された『勝敗 第一部・第二部』。寺山の文学性とテレビメディア論がぶつかり合った隠れた傑作であり、タイトルもストレートに『勝敗』と題されている。後にテレビマンユニオンの創立者に名を連ねるディレクターの萩元晴彦が、テレビの“中継性”を見出したという『第一部』。坂田栄寿名人と林海峯八段の第四期囲碁名人戦の模様を4台のカメラと同時録音で収録。最小限のナレーションと両者の表情・手つき・呟きなどから、緊張感漂う現場の時間そのものを伝える。しかし翌週放送された『第二部』は一変、物語は思いもよらない展開を見せ、“人生における本当の勝敗とはなにか? ”というテーマに挑んだTHE寺山作品へと変貌していく。ヒッチコック『サイコ』やタランティーノ脚本の『フロム・ダスク・ティル・ドーン』のような巧みな構成に貴方も翻弄されて欲しい。 これらのテレビドキュメンタリーを手掛けていた1960年代中頃の寺山は、勝った人間ばかり脚光を浴びる社会や大衆の在り方を強く否定していた。 同時期に執筆されたスポーツを扱ったエッセイ集『みんなを怒らせろ』(1966年1月10日初版/新書館)の中で、『サラブレッド―わが愛』に出てくる競走馬フジノオーとタカライジンについて、こう触れている。 ---------- 競馬について言っても人は幸運に、花の中山大障碍を三連覇したフジノオーという馬のことは、死ぬまで語り草にしても、三度つづけて二着に惜敗した非運の名馬タカライジンのことなどは忘れてしまうだろう。 (タカライジンはフジノオー以外には負けることを知らないライジングフレーム系の天才型の馬で、反面フジノオーは「丈夫で長持ちする」というだけの中小企業的な馬なのであった。しかしタカライジンはその後ケガをして競馬場から姿を消し、フジノオーは「しあわせなら手を叩こう」とばかり、脚光をあびつづけている)「松谷良美いずこへ」(寺山修司『みんなを怒らせろ』より) ---------- また中西太についても、『中西太がたとえ老いても』という短い文章を残している。 すでに選手としての旬を過ぎ、明らかに球を打てなくなってきているにも関わらず、球団の客寄せパンダとして試合に出させられ続けている中西に対して、寺山はこんな想いを寄せる。 ---------- その中西太をふたたびバッター・ボックスにひきもどしたのは、たぶん世論の力というものであろう。 中西は、そんな世論や大衆の支持が、雲のようにとりとめのないものであることぐらいは知っているのだ。 だが、勝ち目はないと知っていても、中西はまた試合に出て来る。 そして、名選手がいつかは味わわなければいけない衰えの中で、過ぎ去った日の栄光に復讐されることになるのだ。 今後、彼がいくら打てなくとも、私はまた中西に賭けるだろう。本当のファンとしての期待は、むしろこれから始まることになるのだから。 「中西太がたとえ老いても」(寺山修司『みんなを怒らせろ』より) ---------- そしてこの『みんなを怒らせろ』の冒頭において、“勝つ”ことの意味について寺山はこう断言していた。 ---------- 私はこれを野球場の片隅、競馬場帰りのバーのカウンター、ボクシングジムの食堂などでメモした。言わば「三分ほどの思想」とでもいったものである。 私は、この二十五のコラムを通して常に「勝つ」ということの意味を考えつつけてきた。たたかうことはスポーツの領域だが「勝つ」ことは思想の領域だからである。 私はこのコラムを通じて勝つためにはハングリー・ヤングメン(Hungry Youngmenー腹のへった若者たち)にならなければいけない同世代のスポーツマンたちの味方としてはげましてきた。本来ならばアングリー・ヤングメン(Angry Youngmenー怒れる若者たち)になるべきところなのに、彼らはなぜハングリー、腹を空かさなければ勝つことができないのだろうか? (中略) 「ともに怒る」ことができたときに真の新しい社会への第一歩をふみだせるのではないかと考える。 「「いますぐ言いたいこと」のためのコラム」(寺山修司『みんなを怒らせろ』より) ---------- つまり寺山は、世間一般の価値観や“勝敗”の基準に対して“怒る=挑発する”ことに端を発し、敗者の在り方にこそ“物語”を見出すことで、埋没されない“個である”ことの重要性を主張していたのだ。 この寺山の主張は、前述の『勝敗 第二部』において集大成を遂げる。名人戦の勝者である若き天才・林海峯の旧友で、今は囲碁の世界を離れたとある無名の男の生活を追ったこの隠れた傑作を、是非劇場で目撃して欲しい。 そしてその翌年に制作された伝説的テレビドキュメンタリー『あなたは……』において寺山は、「あなたにとって幸福とはなんですか?」「あなたは一体誰ですか?」という街録インタビューを展開し、“勝敗”の先にある“幸福論”へと関心を移り替えていくのだ。 ではここからは、そんな寺山の哲学に10代の頃触れ、不幸にも人生を踏み外してしまった私自身(=個)の物語に話を移そう。