阪神・淡路大震災から29年 あの日被災の消防職員が経験語る…同僚に伝えたかった教訓とは?【岡山】
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から2024年1月17日で29年です。当時被災した岡山市消防局の職員が震災の経験や教訓を語りました。 (岡山市北消防署 中野亮署長補佐) 「災害が少ない地域と阪神間は言われていたので当然備えもほとんどなく単純に困った。食べることも、ずっとお腹が減っているような状態」 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。住宅の倒壊や火災などで、6434人が犠牲となりました。兵庫県西宮市出身の中野亮さんは高校3年生の時に自宅で被災し約1カ月間、避難所生活を送りました。 そして2024年の元日、目に飛び込んできたのはあの震災を思い起こさせるような光景。当時と同じく最大震度7を観測した、能登半島地震です。 (岡山市北消防署 中野亮署長補佐) 「本当に当時を思い出した、季節的にも同じ。ただ実際につらいのはこれから、家がつぶれている中いかに前を向いて進んでいけるか少しでもいろんな人が気にかけサポートしていく必要がある」 毎年この時期、被災経験を語り継いでいる中野さん。同僚にも自分事として危機感を持ってもらおうと、日頃からの備えを強く訴えました。 (岡山市北消防署 中野亮署長補佐) 「メンタルヘルスなども平素から整えておかないとダメージを受けやすい。震災が起こった時に自分たちは真っ先に出て行かなければいけない。残る家族のケアなども普段からしっかりしておいてほしい」 (岡山市北消防署 中村望特別高度救助隊長) 「消防力を上げるよう日々訓練に努めている一方で家庭の自助がおろそかになりがち。改めてその必要性を感じた」 (岡山市北消防署 前田大輝特別高度救助隊員) 「市民の自助共助の強化も防災につながると思うので普段から広報していきたい」 (岡山市北消防署中野亮署長補佐) 「気づいたところを少しづつ改善し実際起こった時に被害が最小になるよう備えていってほしい」 時を経て繰り返す震災。次に起こるのは、私たちの身近な場所かもしれません。今こそ、それぞれが備えについて考える時です。
岡山放送