【最強世代までの軌跡・後編】新たなトレンド「Jリーグ経由せず海外移籍」選手が支える日本代表の未来
前の記事『長谷部誠と本田圭佑が切り開いた「代表主力以外でも海外移籍」の道』では、長谷部誠、本田圭佑らが日本代表定着前に海外挑戦し、そこに同世代の選手らが続いた経緯を紹介した。 【画像】イケメンすぎる…!サッカー日本代表新世代のエース・中村敬斗が魅せた……! ’10年代に日本人選手の海外移籍が一気に進み、’18年ロシアワールドカップ(W杯)のラウンド16・ベルギー戦(ロストフ)のスタメンは昌子源(30・鹿島)以外、全員が欧州組という状況になった。その流れは’18年8月の森保ジャパン発足後、さらに加速した。 史上初のスタメン全員が海外組となったのは、’19年アジアカップ(UAE)決勝のカタール戦(アブダビ)。GK権田修一(34・清水=当時ポルティモネンセ)、DF酒井宏樹(33・浦和=当時マルセイユ)、冨安健洋(25・アーセナル=当時シントトロイデン)、吉田麻也(35・LAギャラクシー=当時サウサンプトン)、長友佑都(37・FC東京=当時ガラタサライ)、ボランチ・塩谷司(35・広島=当時アルアイン)、柴崎岳(31・鹿島=当時ヘタフェ)、右MF堂安律(25・フライブルク=当時フローニンゲン)、左MF原口元気(32・シュツットガルト=当時ハノーファー)、トップ下・南野拓実(28・モナコ=当時ザルツブルク)、FW大迫勇也(33・神戸=当時ブレーメン)という顔ぶれだった。 この頃から「海外組でなければ代表になれない」といったムードが選手たちの間で広がったと言っても過言ではない。 日本サッカー協会もアクションを起こした。コロナ禍の’20年10月からドイツ・デュッセルドルフに欧州オフィスを設置。イビチャ・オシム監督時代の’07年から代表をサポートしていた津村尚樹ダイレクター(45)を常駐させ、日本人所属クラブとのパイプ作りを本格化させたのである。津村氏が言う。 「ロシアW杯直前に西野朗さん(68・現解説者)が監督になるまでは外国人監督が続いていたので、彼らの人脈やパイプを通じて視察やクラブまわりをすればよかった。でも、日本人の森保さんが監督になってからは、欧州に拠点を作らないと活動がスムーズに進まなくなった。そこで’20年4月の開設に向けて動き始めたのですが、コロナ感染拡大によって半年遅れで稼働開始にこぎつけました」 欧州オフィスがあれば、ドイツ組はもちろんのこと、近隣のベルギーやオランダの選手たちも何かあれば相談できるし、負傷や体調不良時のサポートも受けやすい。’22年カタールW杯直前に板倉滉(26・ボルシアMG)が負傷した際も連日ここを訪れていたというから、早期復帰への安心材料になったはず。 また、’22~’23年にかけてはチェイス・アンリ(19・シュツットガルトⅡ)や福田師王(19・ボルシアMGⅡ)のように10代で欧州移籍に踏み切る選手にとっての駆け込み寺のような存在になっており、日本人移籍加速の1つの要素になっていると見ていい。 それより少し前の’17年11月、日本企業・DMM.comがベルギー1部のシントトロイデンを買収。日本人選手のゲートウェー的な位置づけを確立させたのも大きかった。実際、冨安、遠藤航(30・リバプール)、鎌田大地(27・ラツィオ)は同クラブで大きな飛躍を遂げ、現在の地位を築いている。 現代表の中村敬斗(23・スタッド・ランス)や鈴木彩艶(21・シントトロイデン)など、次世代を担う面々も同クラブで自己研鑽を積んでおり、日本サッカー界にとっては重要な役割を果たしていると言えるだろう。 シントトロイデンに近い存在が、スコットランド・プレミアリーグのセルティックだ。’19年に横浜F・マリノスをJ1制覇へと導いたアンジェ・ポステコグルー監督(58・現トッテナム)が’21年夏に同クラブに赴いて以降、古橋亨梧(28)、前田大然(26)、旗手怜央(26)といった有望な日本人選手を続々と獲得。揃って大きな成長を見せた。とりわけ、’22年カタールW杯のドイツ・スペイン・クロアチアの3試合でスタメンを勝ち得た前田大然の飛躍ぶりは凄まじいものがあった。 今夏、ポステコグルー監督がチームを去り、日本人選手の扱いが不安視されたが、今のところ上記の3人は存在感を示し続けている。さらに岩田智輝(26)も重要な戦力になりつつある。日本人の能力を高く評価する指揮官が采配を振るう欧州クラブが多くなれば、選手獲得に踏み出すケースはより増えると見られる。 中田英寿(46)がペルージャ、小野伸二(44・札幌)がフェイエノールトへ移籍した20数年前とは比べ物にならないくらい日本人選手の評価が高まっている。それは紛れもない事実で、海外挑戦を望む選手にとっての追い風にもなっている。 実際、選手側も「海外へ行きたい」と当たり前に言うようになった。今では年代別代表やJ1経験者のみならず、J2やJ3など下部リーグに所属する選手までが海外移籍の夢を描き、実現させている。移籍先も欧州5大リーグにとどまらず、イングランドやドイツ、スペインの2部、あるいはスイスやオーストリア、ポーランド、デンマークなどの欧州第2グループと増えているのだ。 10月の日本代表シリーズに追加招集された奥抜侃志(24・ニュルンベルク)は好例だろう。大宮アルディージャのアカデミー出身の彼は5シーズンJ2でプレーした後、’22年夏にポーランド・エクストラクラサ(1部)のグールニク・ザブジェへ移籍。わずか1年でドイツ・ブンデスリーガ2部にステップアップを果たしている。 「大宮から海外に行くのを目標にしていた。J2出身の選手として恥じないプレーをしたい」と本人も意気込んでいたが、今の時代はどういう環境にいても、光るものがあれば海外に行けるチャンスがあるのだ。 テクノロジーが進み、世界中の試合映像を見られる状況になったり、選手の情報をいち早くチェックできるシステムがあったりと、昨今は国境や大陸の垣根がなくなっている。その分、誰にでもチャンスが訪れるのだ。選手をサポートする代理人も数が増え、ネットワークを広げているし、チェイス・アンリや福田師王のように高校生のうちから青田買いされる選手も出始めている。 もっと言えば、少年時代をFCバルセロナの下部組織で過ごした久保建英(22・レアル・ソシエダ)のように現地で教育を受け、スペイン語の能力も高い選手までいる。日本サッカーは完全に世界サッカー市場の中に入ったと言っても過言ではない。 Jクラブ側もこの流れを受け止め、「選手を海外に売って移籍金を稼ぎたい」という意識を強めている。20数年前は「生え抜き選手を育ててタイトルを取る。そのためにも海外移籍はできるだけ容認しない」というスタンスを取るクラブが多かったが、今ではクラブの成功だけを追い求めるわけにはいかなくなった。多くのJクラブが「選手流出」という難題に苦しんでいるが、世界に出ていく選手が多ければ多いほど、日本サッカーのレベルが上がるのは確か。それを認めつつ、選手育成を強化し、魅力あるJリーグを確立すべく知恵を絞っていくことが肝要だろう。 ’22年カタールW杯の日本代表メンバー26人を見ると、19人が海外組、7人が国内組という構成だったが、3年後の’26年北中米W杯は全員が海外組になるかもしれない。森保一監督(55)は「海外組はもともと全員がJリーグでプレーしていた選手」と強調し、今も毎週のようにJリーグの視察を続けているが、Jリーグで数年プレー、あるいはJを経由せずに欧州へ出ていく選手もこの先、どんどん増えるだろう。そうなると、日本国内での代表活動実施はより難しくなる。近未来の日本代表は欧州でトレーニングするのが日常になるのかもしれない。 今後の行方を慎重に見守りつつ、近未来の日本人選手の動向を見続けていきたいものである。 取材・文:元川悦子
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