池松壮亮がカンヌの地で思い巡らせた、日本映画の未来と自身のキャリア「映画を作ることが夢を諦める作業になる現状はつらい」
公開中の主演作『ぼくのお日さま』に続き、『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』(公開中)では”殺し屋役”としてスクリーンを賑わせている、映画ファンの信頼を一身に集める役者・池松壮亮。今年5月に開催された第77回カンヌ国際映画祭で『ぼくのお日さま』プレミアを終え、まだ興奮が体内に残る池松に行った独占インタビューをお届け。映画の未来に対してなにができるか、日本映画がおかれる状況や、俳優としてそれをどう受け止め、どんな未来を思い描いているかまでを、じっくり語ってもらった。 【写真を見る】『ぼくのお日さま』主演の池松壮亮が、カンヌの地で作品の裏話や日本映画界への想いを赤裸々に語る 今年5月に開催された第77回カンヌ国際映画祭で象徴的だったのは、映画業界、そして個人がそれぞれ、映画を通じて次の世代へなにを渡すことができるか?と動き出していることだった。コンペティション部門の審査委員長をグレタ・ガーウィグ、「ある視点」部門をグザヴィエ・ドランといった若手映画作家が務め、パルム・ドールにショーン・ベイカー監督の『Anora』(24)を、ある視点グランプリに中国のグアン・フー監督の『Black Dog』(24)を選出している。バトンを渡すのは権威や大御所ではなく、現在の映画業界、映画産業の中核を担う存在だ。映画祭は賞を授与するだけでなく、世界中の映画に携わる人々が集まり、映画産業の現状を踏まえサステナビリティを考える場所になっていた。 ■「『こんなに感動してもらえるんだ』と、逆にこちらが感動した」 長編第1作目『僕はイエス様が嫌い』(19)で、第66回サンセバスチャン国際映画祭最優秀新人監督賞を史上最年少の22歳で受賞した奥山大史監督。彼の第二作目にして初の商業映画『ぼくのお日さま』は、カンヌ映画祭が新人発掘部門と位置付けている、「ある視点」部門で上映された。公式上映にはドランのほか、映画祭とは別団体によるLGBTQ+要素を含む作品から選出するクイア・パルム賞の審査員のルーカス・ドン(『CLOSE/クロース』)、コンペティション部門の審査員を務めていた是枝裕和監督、監督週間に『化け猫あんずちゃん』(公開中)を出品していた山下敦弘監督、K2 Picturesの発表会見に登壇した西川美和監督らも参列していた。上映後には暖かく熱狂的なスタンディング・オベーションが続き、会場を埋めた若い観客の表情からも、「映画が伝わった」感覚が得られた。感慨無量の表情を見せていた池松壮亮は、「夢のような時間でした」と言い、「観客にどう届いたかというのは、顔を見ればわかるものです。『こんなに感動してもらえるんだ』と、逆にこちらが感動しました。奥山さんも僕も、是枝さんや西川さん、ドランやルーカス・ドンの映画を観て育ってきたので、彼らと共に同じ空間で観て、拍手をいただけたことは本当にうれしかったです」と思い返す。 ■「奥山大史監督は、彗星のごとく現れた新しい時代の希望」 雪におおわれた小さな街でフィギュアスケートのコーチをしている荒川(池松)は、教え子のさくら(中西希亜良)、フィギュアに興味を持つタクヤ(越山敬達)と、儚い関係を築く。ある年代のある瞬間の子どもたちが抱く感情とその感情の発し方を、奥山監督自身が撮影監督を務めた映像で紡いでいく。若き映画作家の手腕を、池松も大絶賛する。 「きりがないくらいすばらしいと思っています(笑)。次世代のホープ、彗星のごとく現れた新しい時代の希望…その筆頭だと思っています。あらゆる面において日本映画のこれまでの枠組みに留まっていません。今作で商業デビューをして、いままでの日本映画的なところに足りなかったもの、リアリティとファンタジーが共存する奥山さんが描きだす世界は、これからの時代を象徴した革新的な才能として評価されていくのではないかと思っています」 池松のもとに届いた脚本も、「本当にこれで長編になるだろうか」というくらい余白を残していたそうだ。「『この脚本で製作費を集めます』というような形式的な日本映画のそれとはまったく違いました。シンプルかつ余白のある中に軸がある設計図があって、その与えてもらった余白に対して、どうやって物語や言葉、そこで閃くシーンを頭の中ではなく体感で生み出していくかという今作のプロセスがとても充実していました」と、演出・脚本から汲み取ったものを俳優の立場から制御する自由が与えられていた。このようなアプローチは、2人の若い共演者が演技未経験だったというのもあるだろう。28歳の奥山監督も、今作が長編2本目の若手監督。池松にも、少なからず奥山組を支え導く役目を担う自負があったのかもしれない。 「僕が子ども2人にどういう態度を見せるか、『映画って楽しいんだよ。大変なこともあるけど、みんなで人生を持ち寄って映画作りを楽しもうよ』と伝えられるのか。演じることの豊かさを、押し付けることなくなんとか2人に体感してもらいたいと思っていました。自分がとる態度や言葉が、次の誰かに影響を与えてしまうかもしれないというのは、映画という文化産業に携わるものとして常に考えることです」 ■「若い2人が心を存分に解放できるように、できる限りサポートしたかった」 映画のクライマックスとも言える、凍てつく湖での美しいシーンはクランクイン初日からたっぷり時間を取って撮影が行われた。前夜に監督と話し合い、若い2人の役者が楽しんで演技ができるよう、たくさんのアイデアを持ち込んだ。撮影以外では役名で呼ぶことを止め、2人がこの物語を体感し、自ら演技を得ていく環境づくりにこだわった。 「2人が心を存分に解放できるように、できる限りサポートしたかった。目の前の人と向き合い、同じ時間を共有するなかで感情が芽生え、それを日々発見しながら物語が自ら立ち上がっていく過程を一緒に体感したかったんです。氷の湖の撮影でも非常に自由なやり方で――これは奥山さんがカメラを構えるという特殊な状況で成立したのですが、4人が充分な時間を使って、丁寧に向き合うなかで生まれる豊かさを映画に取り込もうという姿勢が、あのような奇跡のようなシーンを生みだせた要因ではないかと思っています」 カンヌ映画祭のプレミア上映で、万雷の拍手を受けてタクヤ役の越山敬達は泣き崩れていた。それを見守る池松の顔にも、興奮や安堵の表情のほかに、使命感、達成感のようなものが見え隠れしていた。それは、俳優を続けていくなかで彼が感じていた日本映画の現状を変えたい、変えるきっかけをつくりたいという切実な思いに応える感触が得られたからかもしれない。 ■「『映画を作るということが夢を諦める作業になっている』日本映画の現状はつらい」 池松壮亮のデビューは10歳、劇団四季の「ライオン・キング」。トム・クルーズ主演のハリウッド映画『ラスト・サムライ』で映画初出演した時は13歳だった。 「1本目がアメリカ映画で、当然あれ以上のスケールを持った作品に出会っているかというと、そうではありません。先日K2 Picturesの会見で西川美和監督がおっしゃっていましたが、『映画を作るということが夢を諦める作業になっている』そういう日本映画の現状はつらいです。市場規模や映画を取り巻くシステムがそうさせてしまっているんですが、いい映画を作って届けるための合理性ではなく、いかにお金や時間をかけずに撮って多くの人に見せるかの合理性が重視されています。とても厳しい条件で、(キャストもスタッフも)いいパフォーマンスをするために時間と労力をかけられない状況にあります。それでも僕は諦めがつくようなタイプではないんですが、この環境で映画を作り続けることの限界を感じることはありました」 ■「当たり前のように、世界を相手に映画を作り届けることができるようになってほしい」 日本映画界では、是枝監督や西川監督、深田晃司監督らが立ち上げた「映画監督有志の会」の働きかけによって、映画製作現場の働き方改革がようやく進み出した。厳しい労働環境では、映画の顔としてカメラの前に立ち続ける俳優たちの疲弊も相当なものだろう。「僕は映画が好きな気持ちが恐らく人よりちょっと強いので、その点で保てていることがあると思いますが、それでも条件がいいとは思わないし、いい環境だとは思いません。実際に俳優の夢や可能性が失われている現状は、楽観的にはなれません。日本は、いい俳優が育つ環境としては条件が悪いんじゃないかな。本当に演技を追求したい、あるいはいい作品の一部になりたいと考える俳優はなかなか出てこず、俳優とは本来関係のないことに一生懸命にならざるを得ない状況のなかで、いつの間にか皆疲弊しているように見えます」。『ぼくのお日さま』がカンヌ映画際で温かく迎え入れられ、2018年に塚本晋也監督の『斬、』(18)でヴェネチア国際映画祭に参加した時のことを思い出したという。そういった「映画の幸福な瞬間貯金」が、池松の原動力になっている。 「上映のあとはハイになっていたのか、興奮覚めやらぬというか、なかなか寝付けませんでした。カンヌで久々に“夢”を見た気がしました。6年前にヴェネチア映画祭へ行って、その時さらに映画が好きになる感覚がありました。映画祭がゴールではないですが、世界に向けて映画を作り、海を越えてより多くの観客に観てもらうための窓口がカンヌやヴェネチアだと思います。日本国内では、映画の輸出に目を向けて来ず、海外の観客にも届けているのは一部の映画のみでした。もっと当たり前のように、世界を目指すのでもなく、世界を相手に映画を作り届けることができるようになってほしいなと思います」 ■「映画という世界共通言語を使って、人種とか文化とか言語を飛び越えられるようなことをやりたい」 ここ数年の池松のフィルモグラフィには、海外作品や共同製作作品も多数含まれている。俳優として、映画の作り手としてどのような未来を思い描いているのだろうか。折しも、池松が『ラスト・サムライ』で共演した渡辺謙、真田広之の出演作が海外で好評を得ている。 「自分のキャリアにおいて、今後どう広げていきたいかの漠然としたビジョンはあります。日本映画においては、長らく想い続けていることですが、なかなか普段こんなことを言っても伝わらないなという感覚があり、あまり表立って口にしてきませんでしたが、ここはカンヌだし、言ってしまうと、映画の価値を上げていきたいと思っています。かつて映画の価値が高かった、あるいはこれだけ優れた映画の価値を教えてもらった国に生まれて、それを繋げられないのは、悲しくてしょうがないです。僕だけの力ではなにも変わらない。だからといって、絶対に放棄したくない。海外作品については、キャリアの始まりが海外だったということ、海外の作品にたくさんの影響を受けてきたこともあり、いつも頭にあります。先人たちの受け継いでくれたものがあっての現在地だと思うので、日本の俳優として、(渡辺)謙さんや真田(広之)さんがやってきたこと、あるいは海外の俳優が異国の地でやってきたことも自分の蓄積として考えています。少し前までは、日本を離れた人はもう少し切り離して考えられていたんです。そして多分、真田さんは日本を離れないとやれないことを追求しました。だからこそ僕はもっと軽々と、映画という世界共通言語を使って、人種とか文化とか言語を飛び越えられるようなことをやりたい。できれば次の世代に、こういうやり方もあるよと提示できるようなことを」 取材・文/平井伊都子