花柄の“魔法瓶”登場から50年、高度成長期の花柄はなぜ流行したのか
かつて食卓が花柄で覆われていた時代があった。昭和の高度成長期、ジャーにポット、ビニールのテーブルクロスも花がらだった。今年は、流行のきっかけを作った花柄の“魔法瓶”が世に登場して50年を迎える。花柄はなぜ流行したのか?
高度成長期を席巻した花柄デザイン
NHKの朝ドラ「ひよっこ」のオープニング映像、画面左端に白地に花柄のジャーが映る。時は高度成長期。トランジスターラジオや冷蔵庫、洗濯機、炊飯器など、暮らしを便利にする製品が次々と登場した時代が舞台になっている。 花柄の歴史は古い。花柄デザインの歴史を調査したことがある江戸東京たてもの園(東京都小金井市)の新田太郎園長によると、1960(昭和35)年にヒゲタ醤油(東京都中央区)がお歳暮広告のなかに、花柄を印刷した贈答用醤油缶の写真を使っていた。新田園長は「このあたりの時代から、食品や洗剤の容器などに花柄を採用するケースが増えてきた」と話す。 キッチンのある住居が普及するなど、生活環境が大きく変化し、人々のなかに暮らしを楽しむゆとりが生まれた。日本で初めての花柄の魔法瓶が製造、販売されたのは1967(昭和42)年だった。その実物が大阪市北区にある象印マホービン本社1階にある「まほうびん記念館」に展示されている。 ポットの白いボディーのまわりを、オレンジや赤、紫など色あざやかな花が取り囲んでいる。製造したのは、かつて大阪府堺市に存在したエベレスト印の魔法瓶メーカー「ナショナル魔法瓶工業」。華やかな印象を与えるデザインに懐かしさを覚えた。
花柄デザインの立役者
このデザインの企画提案者は、当時の早川電機工業(現シャープ)のデザイナーで、ナショナル魔法瓶工業の商品コンサルティングも担当していた坂下清さん(84)だ。 従来のポットは、黄色や赤といった単色のデザインだったが、「ある時、ナショナル魔法瓶工業さんから、『ブリキ加工業者がフルカラーで印刷できる新技術を導入したので、この技術を生かして新しいデザインができないか』という話があった」と振り返る。 坂下さんは、大阪にある繊維の街・船場生まれ。幼いころから、華やかで美しい花柄の織物を日常的に目にしていた。ナショナル魔法瓶工業から要請を受けて、子供のころに見た数々の船場の光景の記憶から、花柄のポットを着想した。 知人のつてをたどって、花柄の図案では第一人者とされた京都の反物の図案家に原画を依頼。かなり名の知れた職人だったので断られるのを覚悟で依頼したが、思いも寄らずその図案家は快諾、1週間で仕上げてくれた。食卓をフルカラーの花々で華やかに彩りたいという坂下さんの狙い通りの図案だった。 発売した花柄ポットは市場で人気を博し、象印マホービン、タイガー魔法瓶といった他社も追随。業界に花柄ブームが到来した。 象印マホービンによると、卓上ポット業界の国内出荷金額は、花柄ポット登場前の1966(昭和41)年の約70億円から、1969(昭和44)年には約140億円と倍増したという。「とにかく評判が良いので、(ナショナル魔法瓶工業の)社長からもっとたくさんの種類をつくってほしいと言われました」と坂下さんは当時を思い出す。 人々のなかに暮らしを楽しむゆとりが生まれた。そして印刷技術の進化があいまって、人々の心に響く華やかなデザインの花柄ポットが現れた。坂下さんはそう考える。