<スポーツライター藤原史郎の目>少子化と高校野球 創廃部 時代と共に /広島
2月半ばの日曜日、安芸南高校(安芸区)野球部の上原田望監督(55)の姿は、呉昭和高校(呉市)のグラウンドにあった。選手13人とマネジャー2人が練習に先立ち、雑草や枯れ葉を集めて整備に1時間以上をかけた。自校のグラウンドは手狭で、野球部がなくなった前任校を練習場として借りた。 「グラウンドは使ってこそ生きる。荒廃するのはあっという間です」。呉昭和の野球部が活動を終えて約1年。電源が通っていない照明設備を見上げ、使わなくなった部室を横目に、ノックを打ち続けた。 上原田監督は1983年4月に開校した高陽東(安佐北区)の1期生だ。「揺るぎない伝統づくりに努力していく覚悟であります」。449人の新入生を代表して宣誓した。高陽東は春夏合わせて3度の甲子園出場を誇るが、開学と同時にできた野球部を「野球をするより、グラウンドをならしたり、石ころを拾ったりの作業が多かった」と振り返る。 練習試合も公式戦も連戦連敗。高校最後となる3年夏の大会で広島井口に3-0で勝ち、公式戦初勝利を仲間と喜んだ。「あの1勝が無かったら、野球は続けていなかったかも」。その後の人生を決める大きな勝利となった。 地元の大学を卒業して教員になり、ずっと高校野球と向き合った。忠海から始まった教員生活は、廿日市、廿日市西、安西、熊野、呉昭和と異動し、安芸南で7校目。安西では軟式から硬式に野球部を変えた。安西が初出場した2008年夏の広島大会は、過去最多に並ぶ99チームが出場した。 呉昭和では、部員不足で合同チームを編成した。18年夏の大会を終えた後は選手ゼロの時期が2年近く続いた。高校は新入生募集が停止となり、22年春の地区予選敗退後に廃部を高野連に届けた。 野球部の創部も廃部も経験した。続ける理由は「野球が好きだから。あの1勝から得た重みを選手に伝え、野球を通じて人間として成長することを期待している」。 少子化は、高校の閉校や野球部の存続に影響を及ぼし、県内の高校硬式野球部の数は昨夏の大会では85校、83チームに減少した。センバツに出場した広陵を除く各チームは地区予選を戦い、15日に開幕する春季県大会出場を目指す。