【霞む最終処分】(11)第2部「変わりゆく古里」 「神社守り抜く」決意 人々の営み、蘇るよう
東京電力福島第1原発から北に約1・5キロ離れた双葉町郡山地区の中心部に、正八幡(しょうはちまん)神社がたたずむ。住民の心のよりどころとして大切に守られてきた。原発事故により周辺は中間貯蔵施設の敷地となった。除染土壌を積んだダンプカーが行き交い、重機がうなる。田園が広がっていた穏やかな風景は変容を遂げている。 「先祖から受け継いできた神社を守り抜くのが使命だ」。氏子総代の大須賀義幸(80)は決意を示す。 平安時代が起源と伝えられる神社は、長きにわたり住民の信仰を集めてきた。人生の節目に願をかけたり、祭りなどで集まる「鎮守の森」の役割を果たした。正月に神楽が奉納され、8月には住民が「小湊音頭」を踊った。地区内の郡山海岸にあったとされる「小湊」の風景を表す唄だ。人々は輪になり、心を一つにした。「神社は絆を確かめ合う大切な場でもあった」と大須賀は懐かしむ。 中間貯蔵施設の敷地には郡山地区全体が含まれた。「神社は何としても壊さずに残してもらいたい」。環境省の職員が訪ねてくるたびに、大須賀ら氏子は思いを伝えた。交渉を重ねた結果、神社や薬師堂、共同墓地は存続できることになった。神社を後世につなぐ―。住民の願いはかなった。
◇ ◇ 神社の鳥居は東日本大震災で崩壊し、2016(平成28)年に再建された。同時に復興記念碑も建立された。避難を強いられた現状や、未来への願いを伝えようと、行政区が建てると決めた。碑には古里への思いが刻まれている。 「氏子一同、長きに亘りこの地を離れることを強いられるが、先人がこの地への一歩を記し、心の拠り所として崇め守り続けた鎮守神を末代まで受け継ぎ、再び、人々の営みが蘇ることを願い、この鳥居を建立する(原文のまま)」 当時の行政区長・福岡渉一(73)、森秀樹(73)ら役員が考案した。森は「高齢の氏子が郡山に戻るのは恐らく無理だろう。でも、次世代がきっとまた神社に集まるはずだ」と未来を見据える。 ◇ ◇ 神社の再興には中間貯蔵施設で保管している除染廃棄物の県外最終処分が不可欠だ。今は処分場所が見通せないなど課題が山積するものの、氏子は再び集える日を信じ、避難先から神社の手入れに通い続ける。大須賀もその一人で、約60キロ離れたいわき市から毎月のように訪れ、除草や枝切りに汗を流す。「国は最終処分を完了させ、神社に再びにぎわいを戻す役目がある」と訴える。
中間貯蔵施設が建設された郡山地区。用地交渉では、大須賀を含む住民は愛着のある土地を手放すか否か、苦渋の選択を強いられた。 自宅の敷地が中間貯蔵施設に含まれた住民は、除染廃棄物の県外最終処分後の未来を見据える。古里への愛着を持ち続ける住民の姿を追う。(敬称略)