なぜ人気絶頂のこのタイミングで桐生一馬の物語に幕を閉じたのか?──「ゲームとしての物語が終わっても、再解釈された新しい桐生一馬というキャラクターが続いていく」──龍スタ代表 横山昌義氏インタビュー
20年続いたIPの主人公の物語を終わらせる。 これはある種、特別な作品にのみ許された「権利」である。なぜなら、人気のないIPであれば「終わらせる」前に「終わってしまう」からだ。さらにいえば、それほど人気のあるタイトルならば、あえて「終わらせる」必要はなく、人気がなくなるまでIPを続ければいい。だからこそ、作り手側が確固たる意志を持って「主人公の物語を終わらせる」ということは、とても特別な「儀式」のようなもののように感じる。 『龍が如く』画像・動画ギャラリー 桐生一馬というキャラクターがいる。いわずとしれた『龍が如く』シリーズに登場する人物であり、2005年に発売された『龍が如く』1作目から『龍が如く8』までの約20年間、シリーズの主役を務めたキャラクターである(『龍が如く7 光と闇の行方』(以下、『龍が如く7』)を除く)。 無口でお人よし。「白(堅気)にも黒(極道)にも染まりすぎない灰色な人生を歩んでいく」という決意を持ち、グレーのスーツを着用する桐生。シリーズを重ねるごとに歳を重ね、深みを増し、人間味をかもし出し、『龍が如く8』では55歳となっていた。 55歳が主人公を務めるゲームは皆無かもしれないが、桐生一馬は国内のみならず、海外でも人気が高い。一例をあげると、2024年4月に発表された英国映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)による「もっとも象徴的なビデオゲームキャラクター(Most Iconic Video Games Character of All Time)」の投票結果では、ソニック、マリオ、ピカチュウらが並ぶ中、18位に桐生一馬がランクインしている。 話をもとに戻すが、桐生一馬は国内外でこれほど人気のあるキャラクターである。そんな桐生は『龍が如く8』を最後に、主人公のバトンを春日一番に渡した。 『龍が如く8』発売以前に、龍が如くスタジオ代表・制作総指揮の横山昌義氏はこう公言している。 「桐生一馬が単独主人公のタイトルは今後ありません」。 龍が如くスタジオのトップが、桐生一馬が主人公から降りることを明言した理由は? なぜこれほどの人気と知名度、歴史を誇る主人公を降板させたのか?横山昌義氏に直接、話を聞いた。 聞き手・文/豊田恵吾 ■Amazonドラマ『龍が如く』は超絶おもしろい ──桐生一馬が主人公から降りるという点にフォーカスして横山さんにお話を聞きたかったのですが、先日Amazon Originalドラマ『龍が如く ~Beyond the Game~』が発表されました。1995年と2005年の物語が描かれるそうですが……。 横山昌義氏(以下、横山氏): 『龍が如く』1作目と同じですよね、年代的な意味では。 ──今回、お話をうかがうにあたり、簡単な桐生の年表を用意してみたんです。年表を作って改めて思ったのが、桐生は自由な時間が本当に少なかったんだなと。 横山氏: すごいですね、こうやって見ると。ただ……まったく覚えてないんです。 ──いやいやいやいや(笑)。 横山氏: いや本当に。「そうか」って感じなんですよね。『龍が如く0 誓いの場所』(以下、『龍が如く0』)』を制作する際に、開発で年表を作ってみたら空いていたのが20歳のときしかなかったんです。 ──ちなみにAmazonのドラマでは、脚本に横山さんが関わっているのですか? 横山氏: もちろん監修はしてますが、ストーリー・脚本はSean Crouch(ショーン・クランチ)さんと中村勇吾さんが手がけています。おそらく脚本陣は「龍が如く」シリーズをものすごく理解しているし、愛してくれていると思います。このタイミングだと言えないことだらけなのですが、「龍が如く」をわかっている方だからこその設定の活かし方をしつつ、崩すところを崩している、という感じですね。 ドラマは完全なオリジナルストーリーなんですけど、ピュアに『龍が如く』という作品と登場人物の設定を活かしたストーリーで、非常におもしろい出来栄えになっています。だから私はドラマについては「新しい『龍が如く』」という言い方をしているんです。 ──個人的に気になったのが、桐生の背中の応龍の刺青に目が入っていないところでした。 横山氏: よく見てますね(笑)。さきほど述べたように、彼らなりの解釈で作っていただいています。ただ、脚本で読んでも「どうなんだろう」というのはありましたが、実際に映像で1話目を観たら……超絶おもしろかったんですよ。 ──横山さんがそう言い切るのはめずらしいですよね。 横山氏: 本当におもしろかった。評価の高いAmazonのオリジナルドラマや、ほかの大手サブスクの作品と比較してみてもおもしろい。最新の評価の高い作品と比較しても、最近観た中ではいちばんおもしろかったですね。 あとはキャストがすごい。キャストはまだ竹内涼真さん(インタビューは6月に実施。その後、7月に賀来賢人さんの出演が発表)しか発表されていませんけど、ヤバイです。「いまドラマをやるならあれが日本でベストかな」っていう役者さんでそろえている感じがします。 ■桐生一馬というキャラクターは続いていく ──話を戻しますが、今回のインタビューは「ここまでの人気と歴史のある、桐生一馬という主人公の物語をなぜ終わらせるのか?」という点をうかがいたくてお願いさせていただきました。打診させていただいたのは、まだAmazonでのドラマ化が発表前だったタイミングだったんですが、Amazon Originalドラマの発表を見て、「ああ、そういうことか」と自分の中で答えが出ちゃったんですよね。つまり、ゲームの主人公としての桐生の新たな物語はもう描かれないかもしれないけれども……。 横山氏: そうなんです。桐生一馬というキャラクターは続いていくんですよ、別の形で。今回のドラマ化は、まさにその提示なのかなと。 ──なので、このインタビューの結論が最初に来ちゃったなと思って(笑)。 横山氏: 新しい桐生が続いていくんですよね。あとはリメイク。原作が強いゲームのリメイクは、ストーリーは変えないで遊び心地を変えるとかそういう手法がありますよね。グラフィックを最新のものにするとか、何かまわりを変えるとか。ゲームというメディア自体が技術依存なので、ハードとかプラットフォームの技術が上がると、おのずと体験はすごくなっていく。これって、「龍が如く」シリーズのリメイクでありながら、桐生一馬リメイクにもなるわけなんですよ。 Amazon Originalドラマは、新しい手法のひとつになっていると思います。Amazonのドラマでもうひとつの桐生一馬、もうひとつの『龍が如く』を楽しんでください。 ──勝手に想像の翼を広げると、たとえばマンガ化だったり、アニメ化だったり、ゲーム以外の展開もぜんぜんあることなんだなと思って。 横山氏: そうなんです。別にゲームだけで桐生一馬をずっとリメイクしていく必要はないと思っています。黒田さん(黒田崇矢氏、桐生一馬役)が築いた桐生というのはもう完璧なんですよ。そこに手を加える必要はなくて。 だったら、もう違う形ですよね。Amazon Originalドラマはまさにその形。ドラマで竹内涼真さんが演じる桐生をゲームの桐生と比較される方もいると思いますが、そうじゃないんですよ。桐生一馬が再解釈されて「もうひとつの桐生一馬」として完成しているんです。びっくりするぐらいカッコイイですから。 ■龍が如くスタジオは「いまがいちばんいい」と言いたい ──『龍が如く8』では桐生一馬と春日一番のダブル主人公で、桐生の物語の幕が閉じられました。発売後、ユーザーの反響はご覧になられていたんですか? 横山氏: あまり見ていないかもしれないですね。毎回いろいろな意見があるんでしょうけど、いい意見も悪い意見もあります。 その中には『龍が如く7』と『龍が如く8』の比較もあると思いますが、『龍が如く7』は、言ってしまえば春日一番の紹介話なんですよ。自己紹介のターンなんですね。たとえるならば初代『龍が如く』の桐生と同じ。1作目は自己紹介で、続編から他人ごとの話になってくるんですね。『龍が如く7』は春日一番という人間の「生まれてからいままでどうだったか」ということも含めて、すごく自己紹介が入って、春日一番という人間を好きにさせることをメインに描いている。 一方、『龍が如く8』では前作に登場したさまざまなキャラクターを深堀りしていったり、いろいろなエピソードに触れさせることで、人間的な魅力を発掘している。だから主軸がちょっと違う作り方なんです。それをまずどう思うかという話がある中で、『龍が如く7』がすごく好きで、「春日一番の純粋なこういうところが見たい」と思う人にとっては、たとえば桐生のストーリーは余計だと感じるかもしれない。ほかにも、もっと自分の好きなキャラクターに活躍してほしかったとか、プレイヤーごとにいろいろな思いがあるんですよ。 ──好みの話もありますよね。醤油味が好きな人もいれば、塩味が好きな人もいるわけで。 横山氏: 『龍が如く8』のテーマとしては、春日一番の親離れと、桐生一馬の子離れというのが『龍が如く7外伝 名を消した男』(以下、『7外伝』)も含めてありました。そこにプラスして、桐生一馬という男が伝説から違う形となる、ということをひとつの目標として作っていたんです。その目標は達成することができたのかな、というのが『龍が如く8』の総合的な感想ですね。ゲームではやり切っているので、あとは遊んだ方がそれぞれ考えてくれればいいかな、と思っています。 ──約20年、桐生一馬というキャラクターの物語を作ってきたわけですが、『龍が如く8』発売後、開発チームの中で喪失感みたいなものはないのですか? 横山氏: 喪失感はないですね。いま「龍が如くスタジオ」はすごく大きなことをいろいろとやっているので、つぎのことを考えるのに集中しているんじゃないかな。そこはウチのチームらしくていいかな、と思ってます。 ──後ろ髪をひかれる感じはない、と。 横山氏: そうなんですよね。「昔がよかったね」って言いたくないチームなんですよ(笑)。「いまがいちばんいい」って言いたい。 ──なるほど。黒田さんはどうだったんですか? 横山氏: どうでしょうね? 黒田さんにいちいち聞くことはしていませんし、彼がどう思ったか、やり切ったと思っているのか、まだまだと思っているのかはわからないんですよ。ただ、少なくとも黒田さんが長年やってきてくれたものが、よりよく見える形になったとは思っています。収録中に何か疑問があるとか、そういうのもあまりなかったですね。 ──「これが最後」といった気負いもなかったのでしょうか? 横山氏: 以前から黒田さんは「気負わない」、「あまり芝居をしている感覚はない」とおっしゃっているんですね。「台本を読んで、思ったことをそのまま置いてくる」という言い方をしていますから。だから無理はしていないんじゃないですかね。 ──単刀直入にお聞きしますが、振り返ってみて横山さんの中で桐生一馬はどんなキャラクターだったんですか。 横山氏: 何だろうな? 「自分勝手な人」ですよね。英雄って呼ばれる人はみんな自分勝手だと思っています。「桐生一馬がサラリーマンだとしたら仕事できなさそうだな」って昔はよく言っていました(笑)。でも、桐生はそういうタイプだと思うんですよね。 組織の中で、自分がサラリーマンをやっていると、自分の給料の原資ってどこから出ていて、誰が評価を決めて……というのをすごく考えるじゃないですか。桐生は、メリット、デメリットみたいなものを考えて行動するというよりは、場面場面でどう対応するかってことしか考えてない人だと思うんですよ。一応、風間のおやっさんのためとか、そういうのはあるけども……。 桐生は無許可で勝手なことをいっぱいやるじゃないですか。『龍が如く0』もそうだし。だから、じつはけっこうその場その場のリアクションタイプの人間だと思っています。自分からアクションを起こして何かを変えようというタイプでもない。『龍が如く2』以降は全部リアクションなんですよ。 ──それは作っていくうちにそうなっていったのでしょうか。 横山氏: 1作目の『龍が如く』を終えたあとには、もう桐生の中の目的がないんです。坂本龍馬みたいに「この国を変える」とか、そういう野心もないし、なんだったら「ほっといてくれ」というタイプですよね。そういうキャラクターをシリーズでこれだけ描くというのは、けっこうツラいんですよ。毎回事件を起こさないといけないですからね。 たとえば、『龍が如く』で出所してきたときに錦山が出迎えに来てくれて「ちょっと飲みにいこうぜ」と対応していたら、たぶん話は終わっているんです。ふたりで飲みに行って「かぶって入ってくれて悪かった」と錦山から言われたら「いや、そんなことオレは恨んでねえから大丈夫だ」とか答えて、「オレを支えてくれ。お前の失った10年をオレが取り戻すから」と誘われて、たぶんそのままいまも錦山組にいて錦を助けて一生が終わると思うんですよね(笑)。 ──(笑)。遥と出合うこともなく。 横山氏: リアクションの人生なので、そこは作っていて難しいところでしたね。桐生は最後まで何を言い出すのかわからないところがあるんですが、その要因もリアクションタイプだからです。目指すべきゴールがある人って、絶対にそのための選択をするじゃないですか。だから、場面場面の選択肢に論拠があるんですよね。会社組織だったら利益のための選択をする。 でも、桐生はゴールがないから、場面場面でイエスかノーかがわかりづらい人なんです。だから開発側としてはそこを「桐生っぽいね」でなんとかするしかない。ただ、シナリオをずっと書いてきた立場から言うと、どっちの選択肢をとらせても意外と大丈夫なんです。ゴールがないぶん、どんな選択をしても不思議ではないという……。 ふつうは作っている側がキャラクターをコントロールしているわけですが、桐生に対してはコントロールしている感じがないんですよね。だから客観的に外から桐生を見ているような感覚ですよね。 ──初期のころは、桐生に固さがあったと思うんですね。でもそれがたぶんカラオケあたりから「桐生は何でもOK」とユーザーが許容できるふり幅ができたといいますか。「ここで桐生の振り幅が広がったな」と感じた、ターニングポイントはどこだったのですか? 横山氏: 『龍が如く3』ぐらいですかね……。カラオケを入れたから、というよりも、桐生がゴールのない、あやふやな人なんだと悟ったのが『龍が如く2』の終わりぐらいなんですよ。 たとえば、『龍が如く2』で狭山とキスをするシーンがありますけど、あそこは別に狭山とキスをしなくても物語としては成立するんですよね。だから、僕らからすると「あ、ここで桐生はキスするんだ」という感じなんですよ(笑)。 ──(笑)。 横山氏: 不思議な感覚ですよ。自分であの展開を描いているのに(笑)。 ──それは脚本家からするとキャラが動いたみたいな感覚なのですか? 横山氏: まあ、そうですね。その都度、どちらの桐生が見たいかだけでチョイスしてる感じかもしれないですね。目的を持って生まれたキャラ、たとえば峯は『龍が如く3』の中で役割を果たすために生まれたキャラなわけですよね。そういうキャラってブレがないんですよ。力也もそうです。桐生にとって、かつての子分を彷彿させる存在で、もう1回家族ができたと思ったら失ってしまう。その怒りを桐生はどこにぶつけるのか。 つまり、目的を持ったキャラは、桐生のリアクションを引き出すために生まれているんですよね。そういうキャラたちはまったくブレがなく役割を遂行していく。でも、桐生はゴールがないからブレが生じる。 毎回、「この場面で桐生はどう動くんだろう?」と思いながら作っていましたし、意外かもしれませんが、脚本を書きながら当初自分が思っている方向から桐生の選択をずらしていたと思います。ただ、それがすごく魅力的なんです。作り手の予想を超えた選択をするキャラクターというのは、作り手としてもう味わえないかもしれないですね。 ストーリーにしても、舞台や事件、人間模様や登場人物を考えて、「そこに桐生がいたら?」という組み立て方をしています。その最たるものが『龍が如く4 伝説を継ぐもの』(以下、『龍が如く4』)ですよね。『龍が如く4』の話なんて、桐生はまったく関係ないですから(笑)。 ──(笑)。 横山氏: まったく関係ないんだけど「桐生がいたら?」で進めるわけです。大きな序章があり、最後に「桐生がいたら?」が第四部の最後で訪れるという。ある意味、桐生はすごく手離れしているキャラなんです。 ■桐生という人を演者として呼んできて演技してもらう感覚 ──20年という長きにわたり、ひとりのキャラクターを描き続けるというのは、ほかのメディアでもなかなかないことじゃないですか。20年描き続ける感覚というのは、当事者しかわからないことですので、この「感覚」をお聞きしたいのですが……。 横山氏: 「桐生だったら」みたいなことを考えたときには、『龍が如く 見参!』や『龍が如く 維新!』(以下、『維新!』)で表現していましたね。「桐生一馬という人間だったらこうするかな?」というのは、スピンオフでやってみていたんですよ。 桐生一馬が宮本武蔵だったらこうかなとか、桐生一馬が幕末の時代に生きたらこうするかな、と。本編のほうは、世の中が動いて、その動きに桐生が巻き込まれたらこうなるかな、ということを考えているだけだったんですね。 ──さきほど「外側から桐生を見ていた」と話されていましたが、そういうことなんですね。 横山氏: そう、だからもう桐生一馬という人はいるんですよ、確実に。他人を見ているのといっしょなんです。他人の本心なんてわからないじゃないですか。僕らが描いているのはガワの桐生で、「本心の桐生一馬は?」というのはわからない。これだけ長いあいだ、桐生を描いていると、ゲームキャラクターを超越して、ある意味、実物化しているんですよ。キャラを作っているっていうよりは、桐生という人を演者として呼んできて「今回はこの設定で舞台をやってください」という感覚ですね。 ──さきほど『龍が如く3』から桐生が変わった、というお話をうかがいましたが、『龍が如く2』まではどちらかというと無口なキャラでしたよね? 横山氏: そうですね、無個性でした。あのころの桐生って典型的な極道。高倉健さんとか、菅原文太さんが演じていたような極道、質実剛健な感じでしたね。だから最初は、無口な極道を考えてたんですけど、無口なわりにはよくしゃべるというのが桐生なんで……。「無口っぽく見える」というキャラでしたね。 無口そうなだけで、桐生は実際よくしゃべるんですよ。 ──横山さんはプロフェッショナルで、すごく客観視して作っているわけですね。桐生に関しては、「これやっとけばよかったな」といった、ある意味でのやり残しのようなものもなかったのですか? 横山氏: ないですね。唯一もしかしたらやりたかったのが、Amazonのドラマのように、別の人が再解釈して、別の形で世界ごと変えてくれるということですかね。ゲームとしてどうこうは、まったくありません。 ゲームでは桐生を変える、というのはできないんですよね。設定も変えられませんし、彼の精神状況を変えることはできませんし……。作り手、とくに脚本を書いてた人間としては、20年間お付き合いするのが超厄介なキャラでしたね。 ──(笑)。 横山氏: だからたとえば『龍が如く4 伝説を継ぐもの』の脚本を書いているときも、秋山編、冴島編を書くのは、めちゃくちゃ筆が乗ったし、めちゃくちゃ楽しかったんですよ。で、桐生編に入ったとたんに筆が止まるという(笑)。 谷村編まではバババババーって書けるんですけど、桐生編になった途端「……どうしよっかな」みたいな感じになっちゃって。 ──ずっと書き続けていたらそうなるのもわかります(笑)。脚本は外部へお願いされたことはないんですよね。 横山氏: 外部に出したことはないですね。僕がガッツリ書いていたという意味の分量だけでいうと、『維新!』、『龍が如く0』までなんですよ。『龍が如く6 命の詩。』(以下、『龍が如く6』)以降は、古田(古田剛志氏)や竹内(竹内一信氏)に、かなり任せています。ただ、プロットの部分、原案の部分は僕が考えてしまうのでで、彼らは彼らで僕と同じような感覚だったと思いますよ。 『龍が如く6』の場合は桐生に子どもができたという話を書きたいと僕が言い出しました。だから、そこが柱にありつつ「桐生に何をさせるか」なんです。桐生に子育ての苦労をさせる、というのもそのひとつですよね。桐生も一番も、ふたりに総じて言えるのは、僕らからすると「子ども」を書いているつもりなんです。 ──その部分、もう少し詳しく教えてください。 横山氏: 子どもに人生をやらせているだけなんです。僕の中の感覚として、桐生も一番も、ふたりとも大卒1年目ぐらいなんですね。なぜかというとふたりとも人生のほとんどの時間、刑務所に入っていたから。彼らにとっては、いまが「青春」なんですよ。だから、人生で起こるであろう、どういったトピックを経験させていくか、という感じで描いていたんですね。 たとえば、桐生には疑似的な家族を持たせ、つぎに娘が家出してアイドルになりたいといって、父親は離れなきゃいけないという、家族としての別れがあった。『龍が如く6』ではその娘が子どもを作ってきて、孫の面倒をみるように子育てを経験する。さらには子離れみたいなものがあり……。 そして、『7外伝』で「オレは子離れができていなかったんだ」と気づく。子どもたちはたくましく成長して、自分だけが過去に囚われていることに気づき、さらには病気になり、「人生どうするか」となる。それを全部やらせて、もうやらせることはついにない。そういう意味での『龍が如く8』の引退なんですよね。ここまで描けば桐生にやらせることはもうない。 ■つくづく不思議な人ですよ、桐生一馬は ──『龍が如く8』のラストシーンは最初から決められていたのですか? 横山氏: 名前を名乗るラストシーンは、めずらしく”こうしたい”が完全にあったので、最初から決めていました。 ──プレイヤーの想像の余地を残す終わり方でもありますよね。桐生の生死もはっきりとはわからないわけですし。 横山氏: いやでも、何かしらのシリーズが続く限り、桐生の生死の明示は必ずあると思うんですよ。あの世界の誰もが知らないってことはないと思っているので。だからそれは、何かシリーズ的なものが続いたら、いつか明らかになっていく部分。死んでいたら、たとえば一番が主人公だったとしたら、絶対墓参りをするだろうし、生きていたらお見舞いに行ってるだろうし、そういった描写は避けられないと思っていますから、そこに関してはユーザーに「想像しておいてください」という気はありません。 ──桐生を描くうえで、「ここは絶対に曲げちゃダメだ」といった、守り続けていたものはあったのですか? 横山氏: バトルもあるので難しいんですよね。バトル中は銃も撃てちゃうわけじゃないですか。ゲームとしての自由度も必要だし、「龍が如く」シリーズがいちばん大事にしているのはストーリーですが、ストーリーに没入させるためにはバトルシステムとかが大事になるわけで。そこがおもしろくないと作品全体がつまらなくなる。二律背反なわけですよ。 ゲームとしての自由度を優先させるのか、ゲームとしての自由度まで奪ったうえで設定を活かすのか。これは1作目のときにさんざん議論があったうえで、自由度を選択したんです。その自由度は、どこに出てるかっていうと、たとえばシンジが死にそうだって言ってるのにキャバクラに行けるとか(笑)。ホントはあそこは1本道にして寄り道できないようにしてもいいんですよ。でも「龍が如く」ではお店に入れちゃう(笑)。自由度は残す、って1作目で決めたときに、制約はない感じにしちゃっているので……。 女性を殴っちゃいけないとか、薬を扱っちゃいけないとか、「龍が如く」としての禁止事項ってのはもちろんあるんです。でも、Amazonのドラマ制作がスタートする際、脚本を書く前に「ガイドをください」と言われたときに、五ヵ条ぐらいしかなくて(笑)。 ──(笑)。でも、だからこそ20年、人気が続いているんでしょうね。 横山氏: それはそうだと思いますよ。馬鹿馬鹿しさも許容すると最初にそう決めたからだと思います。ただ、桐生一馬はさきほど話したように、ある意味で無個性なんですよね。「絶対にこう」っていうのがない。だから、なぜそんなキャラクターが世の中にこれほど受け入れられたんだろう、と不思議に思うわけです。真島が受け入れられるのはわかるんです。そういうキャラだから。もちろん桐生が好きな人がいるのはわかりますが、なぜそこまでユーザーに求められたのかが、ちょっとわからない。 「龍が如く」シリーズというゲーム自体のおもしろさのバラエティー感があり、その中で桐生がキャラとして消化されてるんでしょうね。シナリオだけだったらこんなに人気は出ないですから。シナリオだけで人気が出たという意味でいったら、峯とか真島のほうが人気は出てますからね。うん、いや、つくづく不思議な人ですよ、桐生一馬は。 「つくづく不思議な人ですよ、桐生一馬は」。 20年のあいだ紡いできたキャラクターについて、作り手側がこう評するのはとても珍しいことだろう。ただ、シリーズをプレイしたことがある人は、うなづく人が多いのではないだろうか。 つまり、桐生一馬というキャラクターの魅力はある側面だけで語れるものではなく、プレイした人の数だけ、思い思いの桐生像があるからだ。 「桐生一馬というキャラクターは続いていくんですよ、別の形で」。 横山氏のこの発言にあるように、ゲームの主人公としての桐生一馬の物語は終わったのかもしれないが、Amazon Originalドラマ『龍が如く~Beyond the Game~』に代表されるように、今後さまざまな形で描かれる「新たな桐生一馬」を追いかけていきたいと思う。
電ファミニコゲーマー:豊田恵吾
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