JR東日本が変えた「ジャカルタ通勤鉄道」の10年 初代現地出向者に聞く海外鉄道ビジネスの現場
昔は中古車を持っていって、そのままで十分使命を果たしたみたいに日本人は思っていた。でもそんなことはなくて、実際にオペレーションする中でのフォローをほとんどしていなかった。そこに2013年以降、われわれも気づき始めたといったところだ。 ■JR東社員の出向計画は当初からあった? ――JR東日本はこの10年間、ハコモノ偏重ではなくソフト面、鉄道輸送サービスの改善を、現地に社員を送り込んで進めてきました。どのような戦略があったのでしょうか。
2011年頃、インドネシアでは大統領令で1日のジャボデタベック(ジャカルタ)での鉄道利用者数を段階的に120万人にしていこうという動きがあった。また、弊社の車両が205系とは違った電子機器を使う車両に変化している時期だった。205系が古くなってダメだから余剰というのではなく、メンテナンスに人手がたくさんかかるという意味だ。裏を返せば、メンテナンスさえし続ければ同じ品質を出せることはわかっている。使わないで捨てるのはあまりにももったいない。車両の譲渡に関しては、そういったところがインドネシアとぴったり合ったというところからスタートしている。
――車両の譲渡が決まったのは2013年ですが、当時は車両単体での譲渡で、JR東日本から人材を送り込んではいませんでした。JR東日本とKCIが覚書(MoU)を結んだのは2014年で、前田さんが現地に着任されたのが2015年です。車両の譲渡から人的な支援開始まで2年のずれがありますが、人材の送り込みは初めから決まっていたのですか。 MoU締結の際は私も出席していたが、その時、今後の動きをどう作っていくかという会話が出た。車両を持ってきただけでは従来と同じような繰り返しになるし、人材育成を含め、日本の国内で鉄道業だけやっているとやはり内向き志向になる傾向がある。もっと言えば、日本の鉄道はある意味できあがっていて、白いキャンバスに新たに造っていくということはほぼない。だが、そういったことは人材を育成する中で非常に大事。そんな中で、人を送り込みながら次をつくっていこう、ということになった。