さらば聖地、2審判の14年 8月で甲子園勇退 /兵庫
◇「白紙」の心で青春支え 美野さん/高校野球「人生の一部」 金丸さん 14年間にわたり春・夏の甲子園で高校野球の審判を務めてきた美野正則さん(49)=県園芸公園協会=と金丸雄一さん(48)=阪神水道企業団=が、8月の選手権大会を最後に勇退した。阪神甲子園球場はともに幼い頃に父に連れられて初めて訪れた野球場。そこで高校野球に魅せられ高校時代は白球を追い、審判として球児に寄り添った2人は「素晴らしい場所だった」と甲子園を振り返った。【中田博維】 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち ◇「違う視点楽しかった」 美野さんは明石高出身。練習試合で塁審をやった経験から卒業後に県高野連の審判に。「選手とは違う視点が楽しかったんでしょうね」。しかし、最初は詳しいルールが分からず監督から怒られることも。「グラウンド整備の合間にルールブックで確認して……。失敗ばかりで迷惑をかけた」が、練習試合で経験を重ね克服していった。 甲子園の初ジャッジは、県高野連からの派遣審判で臨んだ2009年春。中京大中京(愛知)対神村学園(鹿児島)の一戦は開幕日の第2試合で「緊張で気付いたら後半だった」。2年後の11年から甲子園のレギュラー審判となり、年間約10試合、多いシーズンは13、14試合を務めた。 心掛けていたことはボールに集中すること。選手やチームの情報も入れずに白紙の状態で臨んだ。試合後、審判控室に戻るときにベンチ裏で、泣きながら肩や肘をアイシングしている投手から「ありがとうございました」と言われたときはうれしかったという。 須磨友が丘高では甲子園に縁がなかった金丸さん。それでも「高校野球は人生の一部。何かで関われないか」と問い合わせた県高野連から紹介されたのが審判だった。だが、重圧もあり「試合後はへとへと」。落ち着いてできるようになったのは球審を任され始めた2、3年目からだ。 県内で経験を積み11年夏に甲子園デビュー。第2日第1試合で静岡(静岡)と対戦した「習志野(千葉)の応援はすごかったが、緊張であまり覚えていない」と振り返る。約150試合を担当し、17年春の福岡大大濠(福岡)対滋賀学園(滋賀)の延長十五回の引き分けと再試合の球審も経験した。心掛けたのは選手名を呼ぶこと。「○○君、守備位置までしっかり戻ろう、と呼び掛けるとパッと帰ってくる。いい気持ちでプレーしてくれるんです」 ◇熱い思い詰まった場所 甲子園で気付いたこともある。「選手だけでなくみんなが必死。アナウンサーや阪神園芸の方……。甲子園はそんな人たちの思いが詰まった場所。いつまでも続いてほしい」という。 審判はボランティア。休日がなくなることも多く、家族や職場の人たちに感謝する2人。甲子園からは離れるが、後輩を育てつつ社会人野球などではグラウンドに立つつもりだ。 〔神戸版〕