5日に大統領選 アフガニスタンは今どうなっている?
4月5日、アフガニスタンで大統領選挙が行われます。今回の選挙は、アフガニスタンだけでなく、地域の安定にも影響するものです。選挙の大きな争点である米国、タリバンとの関係から、アフガニスタンの現状を考えます。
アフガンと米国とタリバンの三角関係
アフガン戦争後の2004年大統領選挙で当選したカルザイ氏は当初、後ろ盾である米国と友好的でした。しかし、国連の承認に基づく米国・NATO主導のISAF(国際治安支援部隊)とタリバンの間の戦闘で民間人の犠牲者が続出し、国民から不満が噴出するなか、2007年ごろからカルザイ大統領は米国の軍事行動を公に批判するようになったのです。 さらに2009年、カルザイ大統領がタリバンに国家再建への協力を呼びかけ、独自に和平協議を模索し始めたことは、軍事作戦を行っていた米国の不興を買いました。ただし、投降するタリバン兵が出る一方で、今回の選挙をめぐってテロ事件が頻発するなど、和平協議が進展しているとはいえません。
米軍駐留の延長をめぐる対立
カルザイ氏と米国の関係は、2014年末に駐留期限が切れるISAF撤退後の方針をめぐって、決定的に悪化しました。2013年11月、カルザイ大統領は、米国と協議していた、ISAF撤退後も米軍が駐留するためのBSA(二国間安全保障協定)への即時署名を拒絶。「米軍が民家を対象とする攻撃を即時停止することなどが必要」と主張しました。 BSAはアフガニスタン各地の有力者が集まるロヤ・ジルガ(国民大会議)でも承認されていましたが、カルザイ大統領の署名拒否を受けて、米国政府は「米軍やNATOの完全撤退に向けて動き始めざるを得ない」と警告。 これに対して、カルザイ大統領は「外国の軍隊がいなくても治安は維持できる」と強調。さらに2014年1月と2月、米国にテロ容疑者とみなされ、収容されていた130人以上を「証拠不十分」で釈放。両者の対立はエスカレートしたのです。
カルザイ政権の「暗部」
ただし、カルザイ大統領の言明にもかかわらず、NATOの発表では、2013年のアフガニスタンの紛争による死者は2959人にのぼり、前年比で7パーセント増加。このようななか、カルザイ大統領が軍事的・経済的に依存する米国と対立するのは、米軍への広範な不満だけが理由とはいえません。 カルザイ政権には汚職の噂が絶えず、タリバンの資金源にもなっているケシの栽培・密輸に、大統領の弟が関わっていた疑惑まで浮上。さらに2009年大統領選挙では、一次投票で一位だったカルザイ氏と二位のアブドラ氏の決選投票が行われる予定でしたが、アブドラ氏は「当局の選挙運営が信用できない」と批判して、決選投票への出馬を断念しています。 カルザイ大統領が米国とことさら対決姿勢を強めるのは、これら国内からの政権に対する疑惑や批判への煙幕でもあるとみられます。