棋士の引退(下)青野照市九段「こんな負け方で…」 中尾敏之六段、人生最大の大一番 華やかなタイトル戦の陰で行われる過酷な勝負
【勝負師たちの系譜】 引退が決まっていた私の最後の竜王戦は、先週の13日に行われた。 【写真】当時の藤井聡太三冠が竜王戦の勝負めしとして食べた「手毬寿し御膳」 相手は泉正樹八段。彼の体調が思わしくないため、椅子での対局だった。 椅子対局といえば45年前、故升田幸三実力制第四代名人は膝が悪く、椅子対局を打診したが、当時は理事会が拒否。 そこで雑誌の企画として、対局ができるかどうか若手との三番勝負で試してみる、という企画が行われた。しかし2局目に私(当時五段)に敗れた氏が、そのまま引退を表明するということがあった。 竜王戦は相掛かりから、私は懐かしい棒銀戦法を選び、一進一退の展開へ。 駒得をしている私が切れてしまいそうな不思議な展開になったが、最終盤に突然私の勝ち筋となった。 最後はどうやっても詰みとばかり、安全な保険もかけずに詰ましに行ったのが詰まず、大逆転。 詰まないと分かった夕食休憩では、こんな負け方で将棋人生が終わるのかと、内心笑えたものだった。最後までドジをやるところが、私らしいかも。 もし勝っても、私の場合はどこで引退になるかだけだが、最後の対局が人生最大の一番になった棋士がいる。私の弟弟子の中尾敏之六段だ。 中尾は静岡県富士市の出身で、23歳の時に四段になった。 残念なことに彼は、2007年にフリークラスに降級する。10年の間に復帰できる成績が取れなければ、引退だ。 9年間は成績が振るわなかったが、最後の年に彼は大爆発を見せた。 年度初めから中尾は勝ち出し、佐藤康光九段相手に246手まで粘って、入玉で逆転勝ちしたことがある。また牧野光則五段(当時)相手に、入玉して歴代最長の420手で、不利な将棋を持将棋に持ち込んだことも記憶に残る。 「そんなに強いのなら、もっと早くに勝てよ」と私などは思ったものだった。 しかし相手もプロ。簡単に復帰する成績は取らせてくれず、年度の最終局に勝てばC級2組に復帰し、最悪でも現役は13年延長。敗れれば即引退という一番となった。 相手は新鋭の青嶋未来五段(当時)。中尾は序盤から優勢に進めたが、意識し過ぎたか決め手を逃して敗れた。