「モノを作って人を喜ばせるという仕事は一緒だ」京都『和久傳』で修業 同級生でお笑い芸人 シソンヌじろうの活躍が自信を奮起させ…和食料理人・柾木俊介のターニングポイント
県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。第99の回のストーリーは弘前市出身で和食料理人の柾木俊介。 【画像を見る】「六本木ヒルズクラブ」「和久傳」で修業 和食料理人・柾木俊介のターニングポイント 京都府京都市にある、旬の食材を生かした割烹料理店『柾木』。そこで和食料理人として店を経営している。 ■食べることが好きな子ども 医師だった父親の影響 子どもの頃から食べるのが好きだった柾木。それは医師だった父親からの影響。 柾木俊介さん 「父親も料理作るのが結構好きだったので、そのせいもあるのか、自分でもよく作って食べてました。小学校の時から、大人になったら飲食店をやろうっていうのは頭にあったと思います」 中学はバレーボール、高校はラグビーで汗を流した。高校時代は、あの有名人と青春を謳歌していた。 柾木俊介さん 「高校のラグビー部やってて、その時(元キューティーブロンズの)小三郎と 一緒でした。仲良かったですね、いつも遊んでました小三郎とは」 大学を卒業後、東京の専門学校へ行き、調理師免許を取得。 弘前市にある『レストラン山崎』のシェフに紹介してもらい、東京『六本木ヒルズクラブ』へ。 柾木俊介さん 「実家の隣にレストラン山崎さんがあって、その山崎さんに紹介してもらって東京のお店に入ったんです。ヒルズクラブという会員制のお店が、六本木ヒルズの一番上にあって、そこで最初働きました」 しかし、そこで知り合った先輩に、和食を学ぶなら京都に行くことをすすめられ、歴史ある京都の料亭で働くことを決意する。 ■食の都・京都 和食料理人としての修行 柾木俊介さん 「日本料理をやるとしたらお華のこととか、書のことお茶のこと、そういう勉強もやっぱり必要だと思うので、そういうのが環境的に恵まれているのが東京よりも圧倒的に京都の方が良かったんで、先輩も京都でやった方がいいっていうのを強く言ってたんだと思います」 1870年創業の日本料理店『和久傳』で10年働き、和食のイロハを学んだ後、昔の先輩の誘いで『ザ・リッツ・カールトン京都』の開業を手伝った。
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