福本清三伝 『ラストサムライ』で共演のトム・クルーズから100本のバラで誕生日祝い ハリウッド出演後もおごらず…周囲を驚かす
【福本清三伝 無心―ある斬られ役の生涯】 1960年代半ばを過ぎると時代劇映画から客足が遠のき、任俠映画の全盛時代となる。70年代には、「仁義なき戦い」に代表される「実録もの」のヤクザ映画が人気を博し、福本も個性的な演技で大きなインパクトを与えた。だが、それも飽きられると、撮影所はテレビ時代劇を量産し、生き残りをかける。 そんなテレビ時代劇が隆盛を極めた80年代、「毎日テレビのチャンバラで派手に斬られるコワモテの悪役は誰?」と視聴者は気にし始めた。やがて新聞の投書欄で話題になったことがきっかけでマスコミに取り上げられ、大きくのけぞる「海老反り」が注目されるようになる。密着ドキュメンタリーの放送に、自伝の出版、ファンクラブも結成された。京都太秦映画村では、チャンバラを生で披露する「福本清三ショー」で観客の喝采を浴びた。「斬られ役・福本清三」、50歳代半ばでの「ブレーク」だった。 そんな折、定年を前にした福本はハリウッドによる時代劇「ラストサムライ」が製作されるというニュースを見る。「もう少し若かったらオーディション受けたかったなあ」と思っていると、思いがけずキャスティング担当者から電話がかかってきた。熱心なファンが「福本さんが出ないと本物の時代劇にはなりません」と売り込んだのだ。 資料映像を見た監督は即座に福本の出演を熱望。こうしてトム・クルーズと常に行動を共にする「サイレント・サムライ」として抜擢され、世界にその名を轟かせた。 「ラストサムライ」の撮影時、ロケ地のニュージーランドでは一軒家を用意され、リムジンでの送迎もつき、それまで経験したことのない破格の待遇を受けた。15歳で上洛してから45年。ついに大部屋俳優からハリウッドスターに昇り詰めたのだ。撮影中ニュージーランドで60歳の誕生日を迎えた福本を、トム・クルーズは100本のバラを贈って祝った。 そんな特別な経験をして帰国したが、太秦の撮影所に戻ると、あいかわらず以前と同じように大部屋俳優としてテレビ時代劇の通行人や斬られ役を演じたので、周囲は驚いた。「そらそうです。あれに出たからどうとかいうことはないですやん。僕らの原点はチャンバラですからね」。 ハリウッド映画に出演しても何も変わらずおごらず謙虚な福本だった。