月間60作に出演!寝る暇もなくヤリまくる”令和のトップ男優”東雲怜弥は元「東京都選抜アスリート」
「はじめまして。足を運んでいただきありがとうございます!」 眩しいくらい無邪気な笑顔で自宅マンションに出迎えてくれたのは、東雲怜弥(しののめ・れいや)、29歳。難解な漢字の名前や甘いマスクからすると、歌舞伎町のホストを想像してしまうが――実は超人気セクシー男優である。 【画像】色気がすごい…!“令和ナンバーワンのセクシー俳優”の鍛え上げられた肉体美…! 元『King & Prince』(現『Number_i』)の平野紫耀似の整った優しい顔立ちで、女性の心をくすぐるちょっぴりSっ気のある発言を連発。ついたキャッチフレーズは『令和の甘S王子』だ。しかも、身体は彫刻のごとく筋骨隆々。そんなギャップが女性たちを虜にし、数あるランキングで人気1位を獲得。デビューから3年で月間50~60本もの出演本数を誇る売れっ子となった、セクシー男優界を牽引する若きスターなのだ。 なぜ、そんなイケメンがセクシービデオに……と誰もが疑問に思うだろう。その理由を知るためにインタビューを申し込むと「家に遊びに来てください」と自宅に招かれた。 ◆ストイックなアスリートだった 怜弥の部屋は綺麗に整頓されていが、一角だけ物が山積みになっていた。 「先日、誕生日イベントでファンの皆様との交流会があって……ありがたいことなんですが、頂いたたくさんのプレゼントがまだ整理できていないんです。男優は女優さんと違って、みんな個人事業主。事務所もなければ、マネージャーもいないので、スケジュール管理から何から、全部自分でやらなくちゃいけないから大変で……」 月に60本というと、1日に2本も撮影している計算だ。とてもじゃないが、家のことをやる暇などないだろう。 「今日も3時間くらいしか寝てないんですよ」 それでも、疲れた表情など微塵も見せず、怜弥は語り始めた。 「幼少期から運動が得意で、中学2年の時に『東京都主催のアスリート発掘・育成事業という企画が新しく始まるぞ』と先生に薦められたので、エントリーしてみたんですよ。当時所属していたバスケットボール部が弱くて、ちょうど“他のことにチャレンジしたいな”と考えていたところだったんです」 2020オリンピックを東京に、と誘致活動が盛んだった頃、東京都は『ジュニアアスリート発掘・育成事業』を開始した。運動神経に優れた中学生を集め、高校から始めても世界でトップを狙えるスポーツに限定して、英才教育を施そうという試みだ。 何回か行われたスポーツテストを経て、怜弥は見事に合格。東京中の運動神経自慢が集まる中、男子はたった13名という狭き門をくぐり1期生になった。 「中学3年の1年間はその事業プログラムのもと、ボート、ボクシング、レスリング、ウェイトリフティング、カヌー、アーチェリー、自転車を体験しました。父がオフロードバイクという趣味を持っていた影響もあってか、自転車に興味がわき、高校でも続けることに決めました」 しかし、都内に自転車競技部がある高校は少ない。自宅近辺の多摩川沿いにあるサイクリングロードで練習を重ね、自宅から片道20kmという練習にちょうどいい距離にあった都立高校に目を付けた。 「入学試験の前に、自転車競技部を作ってほしいとその高校にお願いしたところ、部員5人以下は同好会というそれまでのルールを覆し、オレ一人のために“部を作ってもいい”と言ってくれました。東京都認定ジュニアアスリートという肩書きのおかげです。ただし、条件は通常通り入試を受けて合格すること。それなりの進学校だったので、必死に勉強しました」 目標だったインターハイは同好会では出場できない。行きたい高校に事前に交渉する行動力に驚かされる。 「自転車競技部といっても、部員はオレだけ。顧問の先生はいますが形だけで、専門のコーチもいませんし、校内にトレーニング施設もありません。さらに校外で自転車を漕ぐとなると、引率の先生が必要になります。でも付いて来られる先生なんていないので、部活動じゃなく、あくまで自主トレ。来る日も来る日も1人でひたすら多摩川沿いを漕ぎまくりました。インターハイのために部に所属という形が必要だっただけなので、孤独でも全然平気でした。肝心のインターハイは出場できたものの、結果は惨敗でしたけど(笑)」 自転車アスリートの道を極めたい怜弥は、高校卒業後は日本体育大学へ進む。 「全寮制で、トレーニングのために毎朝5時起き。授業が終わると夕方から夜までまたみっちりトレーニング、横浜のキャンパスから出て山梨との県境まで行って往復してくる日なんて、あまりのアップダウンの多さに何度嘔吐したかわかりません。門限も21時50分。大学生らしいことなんて何一つできませんでした。気付いたら部員の3分の1は辞めてました。でもオレは辞めませんでしたね、極度の負けず嫌いなんで(笑)」 ◆IT企業とセクシー男優の二刀流 しかし、そんな厳しすぎる禁欲ストイック生活が怜弥の中に眠っていた才覚を呼び起こしてしまう。 「大学4年の10月に部活を引退したんですが、そこから卒業までの約半年間、マッチングアプリを駆使して女性を誘いまくって猿みたいにヤッてましたね。長年溜め込んでいたものが一気に解放されちゃったというか」 卒業後は自転車アスリートの一線からは退いて、IT企業に就職する。だが一度火のついた怜弥の衝動は止まらなかった。 「サラリーマンをしながら、小遣い稼ぎのために下着姿の個人撮影モデルみたいなことをやっていて、SNSに写真を上げていたんですが、裸になると『いいね』が段違いに多くなってDMもたくさん来る。“自転車競技で鍛えたオレの裸って需要があるのかも”とちょっと勘違いして、誘いのあったセクシー男優オーディションに応募したのがデビューのきっかけです。だからサラリーマンとして働いていた期間と男優としての活動、実は2年も被っているんですよ(笑)。 ちょうど新型コロナが広がり、急に誰も経験していなかったリモートでの仕事が増えた頃です。今だと、リモートでも社員がちゃんと仕事をしているか会社に監視されますけど、当時は野放しだった。それをいいことに現場にパソコンを持ち込んで、撮影の合間に時々チャットを入れたりして仕事しているフリをしてました(笑)。でもちゃんと提出案件の納期などは守ってましたよ」 まさか会社も、社員が仕事の合間にセクシービデオの撮影に臨んでいたなんて夢にも思わなかったことだろう。だが、そんな無謀なチャレンジもバレる日が来た。 「会社に“どちらかを選べ”と迫られたので、セクシー男優を選んで退職しました。そのタイミングで実家に戻り、両親に退職とセクシー男優一本で生きていくことを伝えました。最初は何の冗談? というような反応でしたが、いくつか資料を見せたら納得してくれました。父もテレビ関係の仕事、母は再現VTRなどに出る女優をやっていたので、業界に理解があったのかもしれません。関係ないですかね(笑)」 ◆「女優6人 VS 男優6人」 東京都に認められ、オリンピック出場も夢ではないほど自転車競技に打ち込んでいた息子からの「いきなり過ぎるセクシー男優宣言」。 どちらもアスリートには違いないが、後者は偏見や世間体という問題を避けては通れないいばらの道。しかし、その時すでに息子はセクシー男優として不動の地位を築き上げていた。あまりの衝撃に、両親の怒りや嘆きは一瞬にして吹き飛んでしまったに違いない。 飛ぶ鳥を落とす勢いでトップに駆け上がった怜弥も、挫折は経験している。 怜弥の真価が発揮されるのは、いわゆる女性用セクシービデオ。一般的な女優が主役のセクシービデオとは違い、男優が主役だ。絡みは同じでも、カメラワークが全く逆と言えばイメージしていただけるだろうか。女性用セクシービデオメーカーの先駆け的存在である「シルクラボ」の男優オーディション合格がデビューのきっかけでもあり、怜弥は女性ファンを増やし続けてここまで来た。 「女性用セクシービデオは、まだまだ市場が大きくないこともあって撮影本数が少ない。一本あたりのギャラは良いのですが、月間トータルで考えるとどうしても収入が足りないから一般的なセクシービデオにも出演させてもらうしかない。 初めてのセクシービデオは、女優6人VS男優6人というハチャメチャな現場でした。台本もなく、監督さんは『自由にやって』と言う。それまで女性用セクシービデオできっちり台本通りにやってきたオレは、どうしていいかわからない。とにかく、ベテラン男優さんの邪魔にならないよう動いていたつもりが、カメラの邪魔になってしまったり……。色々考えすぎてパニクって勃たなくなってしまい、カメラの死角に入って自分の手で必死に勃たせて何食わぬ顔をして復帰しました。 最後に6組が並んでバックでやるシーンだけは事前に決められていたんですが、そこで完全に勃たなくなってしまい、挿入しているフリをしてずっと他の男優さんに合わせて腰を振っていました。“オレなんて全然ダメだ”と心底、落ち込みましたね。あの時、オレの失態がバレないよう、挿入されているフリを続けて喘いでくれた女優さんには今でも感謝しています」 大勢の男優が出演する撮影の場合、監督からGOサインが出たらいつでも発射OKなのだという。ただ、基本的には上位の男優から発射するのが暗黙のルールとなっている。1台のカメラで撮り切れないから、同時発射も許されない。 「今はもうだいぶ慣れましたね。ほとんどの男優さんの“発射前の予兆”みたいなものを掴んでいるので、周囲を観察しながら腰を動かして完璧なタイミングで発射ができるようになりました(笑)」 台本を頭に入れ、本番では女優に気を使いつつ、監督やカメラマンの要望に応える。時には先輩男優の発射のタイミングまで観察しなくてはならない。想像以上に過酷なセクシービデオ業界。そこに新たな風を吹かせている怜弥は自身の今後をどう考えているのか。 「女性用セクシービデオはまだまだ認知度が低い。一般的なセクシービデオ並みに市民権を得るためには、もっと女性に性に対してオープンになってもらわなくてはなりません。しかし、セクハラが大きな問題となり、性に関することは何でもタブー視される時代になってしまいました。それをどうにかしたい。 もちろんハラスメントはダメですが、自分の心をオープンにするのは自由です。今はとにかく、時間のある限りイベントをやってファンの方と直接会うようにしています。イベントを通じて、セクシー男優にたくさんのファンがいるのがわかれば、“自分の仲間がいるんだ”という安心感を持ってもらえるかもしれない。普通の推し活と何ら変わらず、堂々とできる日が来るかもしれない。皆さん今はまだ、セクシー男優のファンとは誰にも言えず、秘密にしているそうです。その殻を破ってもらえるようになれば、セクシー男優一本では生活できていない後輩たちも食べていけるようになるはずです。そんな未来を夢見てます」 大学時代に保健体育の教員免許を取得している怜弥。女性用セクシービデオの普及という大役を務め上げた怜弥が、いつの日か教壇に立って性に関する授業を行う――。個性尊重の時代だというのであれば、唯一無二でちょっとだけ破天荒な怜弥先生みたいな存在がいてもいいのではないだろうか。 撮影・文:麻生 剛
FRIDAYデジタル