元Kー1プロデューサーの谷川貞治氏、曙さん口説いた“アポなし突撃”を明かす…転向を「ダメ元で切り出したら…」
大相撲の第64代横綱でプロ格闘家としても活躍した曙太郎(米国名チャド・ローウェン)さんが、心不全のため、4月上旬に東京近郊の病院で死去していたことが11日、分かった。54歳だった。2017年にプロレスの遠征先で倒れてから入院生活を送り、リハビリに励んでいたが、容体が急変した。ハワイ・オアフ島出身、203センチの巨漢で史上初の外国出身横綱となり、同期生の若乃花、貴乃花の“若貴兄弟”と1990年代の相撲ブームを盛り上げた。 【写真】歴史的な一戦!ボブ・サップに倒されてひれ伏す曙さん * * * 曙さんが格闘家人生の第一歩として踏み出したのが、K―1のリングだった。2003年大みそかの“野獣”ボブ・サップ(米国)とのデビュー戦をマッチメイクした元K―1プロデューサーの谷川貞治氏(62)が11日、スポーツ報知の取材に応じ、当時の転向秘話を語った。 引退した曙さんが親方として後進の指導をしていた03年11月。谷川氏は元横綱の大みそかデビュー戦を計画した。打倒・NHK紅白歌合戦を掲げ、民放各局がこぞって格闘技興行に手を出していた頃だ。 九州場所の目前に、福岡市内の東関部屋にアポなしで突撃。早朝、部屋の外に曙さんを呼び出し、電信柱の陰で口説いた。「初めて会って、ダメ元で(サップ戦を)切り出したら、第一声は『ボブ・サップか…』でした。すると電信柱にパンチを打ち出して。(転向は)とんとん拍子の電光石火でした」 突撃した夜に契約を交わし、数日後の11月5日に日本相撲協会に退職届を提出。その翌日にK―1転向を電撃発表した。サップ戦は1ラウンド2分58秒のKO負け。うつぶせになった巨体がピクリとも動かない壮絶な光景はTBS系で生中継され、瞬間最高視聴率で初めて紅白歌合戦を抜く43%。国民的番組を上回る快挙となった。谷川氏は「世間が動くってこういうことなんだなと思いましたし、もう二度とこんなことはないでしょうね。ご一緒できたことに感謝しています」としのんだ。(小河原 俊哉)
報知新聞社