生まれはニューヨーク、育ちは京都 池上季実子「銀閣寺の縁側で1日中、雪を見ているような子でした」幼少期を振り返る
フリーアナウンサーの唐橋ユミがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「NOEVIR Color of Life」(毎週土曜9:00~9:30)。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。各界を代表して活躍する女性ゲストが、自らの言葉でメッセージを伝えます。 6月のマンスリーゲストは俳優・池上季実子さん。この記事では、京都で過ごした幼少期について語ったパートの模様を紹介します。
1959年生まれ、アメリカ・ニューヨーク出身の池上さん。3歳で帰国し、小学校卒業まで京都に住んだのち東京へ。歌舞伎俳優の八代目坂東三津五郎を祖父に持ち、従兄の坂東八十助(後の十代目三津五郎)の勧めで役者の道を歩みます。1974年にNHKのドラマ「まぼろしのペンフレンド」でデビュー。以降、NHK大河ドラマ「草燃える」、映画「華の乱」、テレビドラマ「熱中時代」(日本テレビ系)、「男女7人夏物語」(TBS系)などで注目を集め、現在もドラマ、舞台、映画などで活躍しています。
◆好奇心旺盛だった子ども時代
唐橋:幼少期は京都で過ごされたんですね。 池上:3歳で(ニューヨークから)京都に戻ってきました。祖父が関西歌舞伎もやっていて、家には誰もいない状態だったので「そこに住んだら?」みたいな感じで言われて。私たちの家族は、半分“お留守番”みたいな感じで住んでいたそうです。 唐橋:どんなことをして遊んでいたのですか? 池上:窓を開けると四方八方が山で、夏は弟と一緒に“ミカン箱”で大きい虫かごを作りました。ミカン箱を首からぶらさげて、朝の6時ぐらいに家を飛び出して「これがいっぱいになるまで帰るのをやめようね!」と言って山に行って、カブトムシやクワガタ、セミを採って箱をパンパンにして。朝にラジオ体操をやる場所にどんと置いて、2人で自慢げにしていました(笑)。 私は捕まえてきた虫を庭に離してあげるのですが、そうすると庭にセミがいっぱいになってミンミン鳴くわけですよ。それが、「うちにはセミやクワガタがいっぱいいるよ!」っていう近所への自慢になるんです(笑)。 また、冬の日は、朝起きると“雪の匂い”がするんです。障子を開けて雪が降っていると喜んで、すぐにお小遣いを握って銀閣寺まで走っていって、銀閣寺の門が開くのを待つんです。 一番乗りして新雪を踏むのが好きでね。今は銀閣寺には柵ができてしまって座れないのですが、銀閣寺の縁側に座って1日中、雪を見ているような子でした。 唐橋:自然を満喫して、活発なところもあった子ども時代だったんですね。 (TOKYO FM「NOEVIR Color of Life」放送より)