「家族でカフェをやろう」24歳で亡くなった娘との約束…長年勤めた会社辞めカフェ出店 【佐賀県多久市】
サガテレビ
12月14日、多久市にオープンしたカフェ。店を開いた男性は、2年前、24歳の娘をがんで亡くしました。「家族でカフェをやろう」。娘との約束を果たすため、奮闘した父親の背中を追いました。 あの日から、2年4カ月。 オープンした小さなカフェは、家族で描いてきた夢でした。 いつもそばで、変わらない笑顔で見守っています。 【江口浩二さん】 「(娘が)いたら一番良かったんですけど…でも多分喜んでるかなと思います」 江口浩二さん57歳。おととし8月、娘の穂花さんを亡くしました。24歳でした。 【江口浩二さん】 「(写真を)見たらめっちゃ楽しそうで。いなくなるとか思いもしないし…」 明るく、社交的だった穂花さん。大学の卒業前、下腹部の張りを訴えます。 卵巣に腫れが見つかり、最終的には「卵巣がん」と診断されました。 抗がん剤治療を始めますが、医師から宣告されたのは「余命3カ月」。 穂花さんは、残された時間を惜しむように家族や友人とたくさんの思い出を作りました。そんな中、病状が進むにつれ、思い通りに身体が動かなくなっていきます。 【江口浩二さん】 「だんだん立ちもできなくなる。ソファに座っていても、立とうとしてあれ?あれ?と言う。力が入らない。もう食べ物も入らないけど水も入らないし…(亡くなる)ほんの何日か前。娘が『やっぱり死ぬのかな…』と話をしてくる。なかなか答えようがないというか…『死ぬわけないやっか』みたいな感じで…」 最期は、穏やかな表情で別れのときを迎えました。 【江口浩二さん】 「寝てて朝何時ごろだったかな…5時前ぐらい。かみさんが目を覚まして娘の様子を見たら『動かない』と…」 穂花さんの死去から約1年半 「ただいまより、令和5年度西九州大学佐賀調理製菓専門学校卒業証書授与式を始めます」 今年3月、専門学校の卒業式。若い世代の中に、江口さんの姿が。35年勤めた会社を辞め、菓子作りを学んでいました。 【江口浩二さん】 「コーヒー屋さんをやりたいねと娘には話をしていた。いつか、家族でカフェをやろう」 江口さんは、穂花さんとの約束を果たすために新たな一歩を踏み出したのです。 【江口浩二さん】 「娘の友達、地域の方が気楽に来れるような店を開いていきたい」 専門学校の卒業から約1カ月。 【江口浩二さん】 「レジはここらへんになるのかなと」 【業者】 「もうちょっとこれを…サイズが80cmであれば少しずらして一番隅っこの方に…」 江口さんは、早くもカフェの内装を考えていました。何度も打ち合わせを重ね、少しずつイメージを膨らませます。 【江口浩二さん】 「まだスタートで言うと5%。そんなもんじゃないかな…。今からですね」 カフェは、自宅の車庫を改装して作ることに。工事開始から約3カ月で、落ち着いた雰囲気の店が完成しました。 オープンが近くなったこの日はメニューを考案。店は、妻の美千代さんと2人で経営します。 穂花さんの同級生も駆けつけ、SNSでの告知など、開店の準備を手伝います。 【穂花さんの高校の同級生】 「いろんな人に来て頂いて、みんなが楽しく過ごせるカフェになってくれたら。(穂花さんも)喜んでくれるかなと…」 そして、オープン当日。この日は、穂花さんの誕生日。 店の名前は、「Coffee Roast HONO」。 穂花さんとの夢が、形になりました。 【江口浩二さん】 「今から一緒に歩んでいけるかなと」 【妻・美千代さん】 「娘が喜ぶように頑張りたい。『お母さん頑張ったね』って言ってもらえるように。それだけです。向こうに行くとき、ほの(穂花さん)の所に行くときに『お母さん頑張ったね』って言ってもらいたいから…」 厨房では、江口さんが菓子作り。妻の美千代さんは、接客などを担当します。 店には、夫婦を応援する知人や友人が続々と訪れました。 【江口さんの約20年前からの知人】 「オープンする経緯を全部聞いていた。絶対応援してやりたい」 【穂花さんの小中高の同級生】 「気軽に来れるのもあって、それでまた(穂花さんを)思い出して。第2の実家みたいな感じでこれからも通いたい」 家族で開いたカフェ。新たな生活が始まるお父さんとお母さんのそばには、いつも笑顔の穂花さんが寄り添っています。 【江口浩二さん】 「(穂花さんが)喜んでいると思う。お母さんと一緒に頑張るけんねって報告はしたいかな。多分近くにいてくれていると思う」 【妻・美千代さん】 「何しよ~ってやろ?」 【江口浩二さん】 「うん、頑張るしかないかな」
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