映画『大いなる不在』は、国際的な高評価も頷ける、認知症×サスペンスの傑作だ!──森山未來主演で7月12日公開
森山未來が主演を務める映画『大いなる不在』は7月12日劇場公開。藤竜也と親子役で初共演を果たしたヒューマンサスペンスの見どころを、ライターのSYOがレビューする。 【写真を見る】藤竜也、真木よう子など、名優が脇を固める
森山未來の抑えた演技が光る認知症×サスペンスの傑作!
森山未來と藤竜也が共演したサスペンス映画『大いなる不在』が、7月12日に劇場公開を迎える。日本公開に先んじて第48回トロント国際映画祭ワールドプレミアを飾り、第71回サン・セバスティアン国際映画祭で最優秀俳優賞を藤竜也が受賞(日本人初)、第67回サンフランシスコ国際映画祭では最高賞グローバル・ビジョンアワードを受賞するなど、国際的に評価された一作だ。 幼少期に両親が離婚して以降、疎遠だった父・陽二(藤竜也)が、認知症で入院したと知らせを受けた息子・卓(森山未來)。入院中と聞いていた義母・直美(原日出子)に伝えようとするが、携帯電話は家に置き忘れられており、連絡が取れない。父は父で認知症により「外国の刑務所に収監されている」と信じきっており、話を聞きだすことは叶わない。それどころか「あの人は自殺した」と言い出す始末……。不安に駆られた卓は、妻・夕希(真木よう子)の手を借りて義母探しに乗り出すが、その過程で次々に知らなかった父親の姿が浮かび上がっていく──。 認知症×サスペンスはアンソニー・ホプキンスがオスカーに輝いた『ファーザー』から認知症を患った殺人鬼が模倣犯を追う変わり種『殺人者の記憶法』、訪問介護士が依頼主の認知症を利用してなり替わる『ビニールハウス』まで、作り手の発想力が問われるジャンル。その中で本作は「父の認知症」「母の失踪」「息子が知らなかった過去」といった複数の軸が相互に作用しながら進行していく構造になっており、現在と過去を行き来することもあって情報がどんどんアップデートされ、全体像が変容していく点に特徴がある。 そうした意味ではギミック満載のトリッキーな作品ではあるのだが、監督・脚本・編集を手掛けた近浦啓の魅せ方が上手く、流れるように受け入れられる。セリフやシーンに説明臭さや大仰かつ劇的な感じはなく、あくまで淡々と進行していくため、観る者が胃もたれを起こすことがないのだ。こうした空気感やテンションは作品全体に現実味をもたらすと同時に、観客が「気づいて、驚く」効果を高めている。 たとえばオープニングシークエンス。閑静な住宅地に一台の車が入ってくるシーンは何の変哲もないものだが、その車に隠れて機動隊員と思しき武装した人々が進んでいるカットを観た際に一気に非日常に引きずり込まれ、驚かされることだろう。施設に入居した陽二と卓が再会するシーンでは、登場した父がなぜかスーツを着込んでいる。他の入居者に比べて明らかに浮いており、卓や夕希は「何かが変だ」と言葉には出さないものの心がざわつく。また、家主がいなくなった父母の家で手がかりを探していた卓が“料理のお届けサービス”の配達員に対応するシーンでは、会話の中で「契約者が父でも母でもない第三者だった」という新情報がさりげなく示される。 こうした「日常/普通」の中にスッと「異常/異様」を混ぜ込む演出が全編に行き届いており、そこに森山の抑えた演技や藤の超然とした演技のコントラストが連動していくことで、画面全体の統一感やサスペンスとしての完成度が担保されているのだ。あえてキーとなるシーンやギミックをドライに扱い、画面に埋没させることで観客に見つけさせる引き算の手法――情緒的な“ウェットさ”を重ねていく足し算的な日本映画の文脈ではあまり見られない特徴であり、海外映画祭での高評価も頷ける。 最初に“謎”を提示する作品である以上、本作もセオリー通りに徐々に真実が明らかになっていく流れを踏むのだが、物語の展開に合わせてサスペンスとヒューマンドラマの配分が変化し、陽二と直美の愛情の変遷が描かれていく点も秀逸だ。姿を見せない義母の心の内が回想シーン等で判明し、「あの日何があったのか」を観客が知るときには、各々の事情と精神状態が既にインプットされているため、そこに共感や同情といったエモーションが生まれる。 並行して、観客と同じく「知らなかった」立場の卓が、父の正邪入り混じった側面をどう受け止めていくか……というある種の成長物語も進んでいく。主人公を観客と近い場所に置き、ガイドの役割も果たさせながら最終的には「息子」としての在り方を問う親子の物語に帰結させる──。親子や夫婦といった普遍的な題材を扱いながら既視感を抱かせない『大いなる不在』は、なんとも隙のない傑作であった。