立花宗茂を「九州之一物」と称賛した文書、ウェブで見られます…東京大学史料編纂所が柳川市の古文書公開
貴重な歴史的史料の画像をウェブで公開している東京大史料編纂所(東京)は、福岡県柳川市や公益財団法人「立花財団・立花家史料館」と連携協定を結び、同市などが保管している古文書などの公開を始めた。同様の連携協定は全国7か所目で、九州では宮崎県都城市に次ぐ2か所目。関係者は「ウェブで公開予定の多くが鎌倉・室町から江戸時代にかけての国重要文化財。歴史に関心を持つ全ての人に活用してほしい」と話している。(柿本高志) 【写真】最晩年の立花宗茂を描いた肖像画
協定の調印式は柳川市役所で9月30日に行われ、金子健次市長らが出席した。同日から、立花家史料館が所蔵し、市が管理運営する柳川古文書館に寄託されている九州の大名家文書の「大友家文書」「旧柳河藩主立花家文書」の約800点を撮影した高精細デジタル画像計約3600点を、ウェブで公開。画像は同編纂所のデジタルアーカイブズ「Hi―CAT Plus(ハイキャットプラス)」から誰でも閲覧できる。
同古文書館などによると、立花家は、豊後国(現在の大分県)の大名・大友家の一族で、戦国時代末期に筑後柳川(柳川市)に入り、大友家当主や豊臣秀吉、徳川将軍らから出されたとされる多数の文書が「立花家文書」として残る。また、秀吉の時代に大友家が改易された後、「大友家文書」は立花家が継承。同文書には歴代足利将軍からの文書が含まれている。両文書はいずれも同古文書館が保存し、研究を続けている。
公開された文書のうち、天正14年(1586年)に秀吉から出されたとされる文書には、初代柳河藩主・立花宗茂を「九州之一物」として、九州で最もすぐれている者と称賛している。こうした印象的な文言がどのような筆致で書かれ、花押が記されているかなどを確かめることができる。
また、大友家文書のうち、紙ではなく小さな絹布に書かれている文書は、足利高氏(後の尊氏)からの感謝状で、使者に持たせたものだったと推定される。活字だけでは分かりにくいが、画像によってそうした状況がイメージしやすいという。