父が失踪、JKビジネスで学費を稼ぎ…壮絶人生を歩むセクシー女優の半生「毒親に育てられていなかったら、デビューは100%なかった」
父の事業失敗で東京へ。JKビジネスで学費稼ぎ
――なかなかハードな家庭環境だったんですね。 最上:しかも私が高校生のとき、父の事業がダメになってしまって。父はそのまま失踪してしまって、今もどこにいるかわかりません。私と母は、そのタイミングで地元の福岡から東京に逃げてきた、って感じですね。 ――そこからお母さんとのふたり暮らしが始まるわけですね。最上さんは東京で高校に通うようになった、と。 最上:はい。でもお金がないから、学費を稼ぐために秋葉原でアルバイトをしていました。おじさんにチラシを配って、お店に連れてきてマッサージするって形で、結局最後までしちゃう、みたいな。 ――それはヤバいですね……。 最上:しかも私、そのJKマッサージ店で店長になったんですよ。もちろんオーナーがほかにいて、雇われ店長ですけど。シフト管理とか、面接とか、お金に関することまで全部やっていました。 ――それはスゴイ。真面目なところが評価されたんですかね? 最上:というか「お金がいっぱいもらえるよ」って言われて、お金がほしかったから引き受けただけです。でも当時、ちょうど秋葉原のJKビジネスの摘発が厳しくなった時期で、私が店長のときに、お店が摘発されちゃったんですよ。でも店長は私だから、オーナーは捕まらない。だまされて店長をやっていた、みたいなところがありますね。
娘の稼ぎに依存する“毒親”母との生活
――当時、お母さんは働いていなかったんですか? 最上:一応、事務とか、水商売でも働いていました。でもいつも「お金がない」って言っていましたね。だから「若い女って、すごい需要があるんだ」って思っていました。母がどんなに頑張っても、私よりも稼げないんだなって。 ――当時のお母さんの「毒親」ぶりはどんな感じだったんでしょうか。 最上:たぶん、一番すごかったのがこの時期かなと思います。とにかく、自分のお金は使いたくない、そもそもお金がない。でもそれなりの贅沢はしたいし、プライドも高い。贅沢したいのにお金がないから、それまでに集めたブランドもののバッグを売り始めたりして、その姿を見て「かわいそうだな」って思ってしまったんです。だから私がなにか買ってあげる、みたいな生活になりました。 ――最上さんの稼ぎに依存する状態になってしまった。 最上:そうですね。私としては、母は「お父さんに捨てられて、かわいそう」って気持ちもあったんです。だから「私が頑張ればいいや」と思っていたんですけど、それが就職してから私自身も大変になってしまって。