4着のウエディングドレスで振り返るオードリー・ヘプバーンの「結婚と人生」 年上俳優と離婚後わずか6週間で年下医師と再婚も
永遠のファッション・アイコン、オードリー・ヘプバーンにとってもウエディングドレスは特別な1着。そこには、彼女の結婚への思いが込められている。 【画像】オードリー・ヘプバーン、4着のウエディングドレスを振り返る ここで紹介するのは、結局は着られることのなかった最初のウエディングドレスを含めてプライベートで3回、そして、出演映画の中で1回、それぞれに用意された計4着のドレスに秘められたストーリー。 季節は6月、ジューンブライドが数多く誕生するこの時期に、オードリーが選んだウエディングドレスとともに彼女の人生を振り返る。 ◆◆◆
『ローマの休日』撮影時、婚約中だったオードリー
『ローマの休日』(1953年)撮影中の1952年、オードリーは当時婚約中だったイギリス人ビジネスマン、ジェームズ・ハンソンとの結婚式で着るためのウエディングドレスを試着するために、ローマのデザイナー、フォンタナ姉妹のブティックを訪れる。 彼女が腕を通したのは全身シルクでできたミディアム丈のボートネックドレスだ。 しかし、1年間の婚約期間の後、オードリーは俳優としてのキャリアを優先し、婚約を破棄。ハンソンもそれを受け入れ、2人はその後も生涯交流を続ける。
幻のウエディングドレスを寄付された女性
そして、シルクのウエディングドレスはどうなったか? 「私のドレスを他の女の子の結婚式で着て欲しい。できれば、高価なドレスを買う余裕のないイタリア人の女の子に」というオードリーの意思に従い、フォンタナ姉妹によってアマービレ・アルトビラなる貧しい女性に寄付される。 2009年、このオードリー最初のウエディングドレスが23,000ドルで落札された際、カタログにはアルトビラから以下のコメントが添えられていた。 『私はこのドレスのおかげで幸せな結婚生活を送ることができました』
12歳年上の俳優メル・ファーラーとスイスで挙式
それから約2年後、今度こそオードリーにウエディングドレスを着るチャンスが訪れる。グレゴリー・ペックが主催するパーティでアメリカ人俳優のメル・ファーラーと出会い、恋に落ちたオードリーは、1954年9月25日、スイス・ビュルゲンストックの教会でささやかな結婚式を挙げる。 その際、彼女が腕を通したのはピエール・バルマンがデザインしたサテンのサッシュ、ボールガウンスリーブ、ハイネックのフレア丈ドレスに肘までの手袋を合わせたオートクチュールドレス。 その結婚はオードリーにとって、ロンドンでのモデルやダンサー、そして映画の端役を経て、ハリウッドデビュー以降も必死に駆け抜けた6年間の足取りを一旦休める貴重な時間であり、同時に、その人生を賭けて家庭人であろうと務めたオードリーの夢が叶った瞬間でもあった。 オードリーはこの結婚をこう振り返っている。「心から愛している男性と結婚したその日から、彼のいるところが私の家です」と。 ファーラーとの結婚生活は1960年7月の第一子、ショーンの誕生と、オードリーの度重なる流産と、双方の不倫の噂と、セレブカップルにありがちなスポットライトの落差、等、夢にまで見た幸せと不幸をもたらした結果、1968年にピリオドが打たれる。