湊かなえ、作家生活15年目の到達点 「『告白』ぶりに、自分が読みたいものを思う存分書けた」
「イヤミスの女王」と称される作家・湊かなえの最新作『人間標本』(角川書店)は、少年たちを殺害して標本にしていた猟奇犯・榊史朗の手記から幕を開ける不穏なミステリーだ。湊かなえの15周年記念書下ろし作品でもあり、その読後感は後味が悪いだけではなく、涙を誘うと評判を呼んでいる。本作で「親の子殺し」をテーマにした理由や、新たに挑戦した手法についてなど、作品の背景について詳しく話を聞いた。(編集部) 【画像】青い蝶が印象的な『人間標本』のカバー ■「親の子殺し」は避けられないテーマだった ーー5人の美しい少年たちを殺害しただけでなく、自身が研究する蝶と同じように標本にしたおぞましい事件。さらに我が子まで手をかけた猟奇犯・榊史朗の手記『人間標本』を読むところから本書は始まります。あくまで榊の文体として書かれたからか、いつもと読み心地が違っていて、「これ、湊さんの小説だよな?」と何度も表紙を確かめてしまいました。 湊かなえ:五十歳の大学教授で蝶博士、になりきって書きましたから。読んだ人が、はたしてこれは現実に起きたことなのか、それとも妄想を語っているのか、わからなくなるような文章にもしたいなと思ったんです。江戸川乱歩の小説に夢中だった子どものころ、夕暮れの帰り道に一本道を横にそれると、ここではないどこかに迷いこんでしまうような気がしていた。タイトルを『人間椅子』のオマージュにしたのも、その初心にたちかえりたい気持ちがあったからなんです。 ーーまさに『告白』を読んだときのような衝撃のある作品でした。同時に、これまでの作品以上に残酷で、やるせない気持ちにもさせられて……。 湊かなえ:これまでは意図的に、残虐性や性描写など刺激の強い作品は書かないようにしていたんです。『告白』は、誰にどんなふうに読まれるかなんて考えもせず、自分が読みたいものを思うままに書いた結果、新人賞を受賞することができましたが、デビュー以後はなかなか自由に筆をとることができなかった。というのも、多くの方に読んでいただけるというのは、とてもありがたいことであると同時に、こちらが望んだのとは違うかたちで受けとられてしまう危険性を孕んでいるんですよね。とくに小説を読み慣れていない方は、どうしても小説の内容を私自身と重ねてしまうこともあって。私自身はどう思われてもかまわないのですが、まだ小さい子どもや身内に影響を及ぼすようなことは避けたかったんです。 ーー今作のような猟奇殺人、しかも親が子に手をかける物語は、そうした状況では躊躇してしまいますよね。 湊かなえ:そうなんです。でもいつか、子どもが成人したら、「親の子殺し」というテーマで書いてみたいと思っていました。いったい何があったらそんな状況になってしまうのか、そうなる前にどうにか食い止めることはできなかったのかと、痛ましい事件が報じられるたび考えずにはいられないし、どれだけ想像しても、なかなか理解ができません。でもだからといって、遠い世界の特異な事件というわけではなく、この国でもしばしば起きていることです。だとしたら、私の日常の延長にも、悲劇の可能性はあるのかもしれない。デビュー以来、ミステリーという手法をとりながらも「人間」を書きたいと思い続けていた私にとって、これは避けられないテーマでもありました。 ーーそこからどんなふうに、人間標本という発想に繋がったのでしょう? 湊かなえ:最初はなんとなく、ですね。少年ばかりが狙われる連続殺人の遺体が、すべて標本として提示されているというのはどうだろう、標本といえば蝶だよな、と思いついたのですが、これまでの人生で蝶に興味をもったことは一度もないんですよね。 ーーもともとお好きだったのかと思うほどの描写でした。 湊かなえ:アゲハチョウとモンシロチョウくらいしか知らなかったので、たくさん文献を読みました。これがすごくおもしろかったんですよ。たとえばヒューイットソンミイロタテハは、鮮やかに美しい羽をもつ蝶なのですが、幼虫のときに毒成分のあるコカの葉を食べることがあるので毒を持っているんですね。だから、鳥などに派手な見た目で「毒を持っているから危険ですよ」とアピールする。そうした毒蝶に擬態する蝶もいるんです。そんな切ない擬態があるのか……!と衝撃を受けました。コノハチョウのように、木の葉に擬態して周囲に溶け込んで身を守るのはなんとなく想像がつくけれど、そんな切ない擬態の仕方もあるのかと。 ーー生き抜くために強者のふりをするというのは、ちょっと人間にも通じる部分がありますね。 湊かなえ:そうなんです。表から見るのと裏から見るのとでは、別の蝶かと見まがうほど模様が違うとか、思った以上にミステリーとの親和性が高いんじゃないかと思いました。なかでもいちばん興味深かったのが、蝶の視覚。モンシロチョウは紫外線を色として感じるために、四原色以上の世界を見ることができるんですよね。私はそもそも、蝶が「見えている」ことすら知らなくて。花の香りにつられて飛んでいるのだとばかり。 ーー作中でその描写が出てきたときは、私も驚きました。蝶が何を見ているかなんて、考えたこともなかったです。しかもそこから、蝶と同じ目をもつ人が登場して……。 湊かなえ:人間は通常、三原色で視界をとらえているのだけれど、何万人に一人かの確率で四原色の世界を見ている人がいる、というのも調べていくうちに知ったんです。しかも、その目を持つのは女性だけらしい。ゴッホも蝶の目を持っていたかもしれないという説もあって、興味深いなと。考えてみれば、三原色の目を持つ人同士だからといって、目にしている世界が同じとは限らないんですよね。美しい青ですね、と共感しあっていたとしても、その青がまったく同じ色に見えているとは限らない。私たちの日常に繋がるテーマを、蝶の色覚を通じて描けると思ったら、なんだかわくわくしてしまいました。 鮮やかであればあるほど目を奪われて、その印象に踊らされてしまう ーーどんな出来事も、解釈次第で最高にも最悪にも転じるというのが、湊さんの作品に通底するテーマだと思うのですが、それが今作では蝶と結びついて描かれるのが、非常におもしろかったです。特性によって、被害者の少年たちにあてがわれる蝶が違うのも、おもしろかったです。……解体されて標本にされているので、おもしろかったというのは語弊がありますが。 湊かなえ:いつも私は登場人物の履歴書をつくるのですが、今作においては「この子はどういう人だろう」ではなく、まず蝶のオーディションをして選別したあと、登場人物の性格をかたちづくっていきました。たとえばレテノールモルフォは、表から見ればサファイアのような青い輝きを放っているけど、裏を見れば枯葉のようにも焼け跡のようにも見える。そんな蝶のような性格の少年はきっと裏表があるだろう、という具合に。そんなふうに、人間を特性から考えるのは初めてだったので、新鮮でした。 ーーここで蝶の説明をしすぎるとネタバレに繋がってしまうので控えますが……6人の少年たちが一様に絵を描くというのもおもしろかったですね。何を描くか、どう表現するかでも、「人によって見えている景色が違う」ことを表現されていました。 湊かなえ:「どんな景色を見ているか」がこの作品のテーマでもありますし、四原色の目を持つ画家も登場させたかったんです。それで、史朗の昔馴染みであり、彼の人生を決定づける一人となった留美を登場させました。史朗に絵を描く才能がないというのは、その対比ですね。「父と息子の話を書いてほしい」という読者の方からのリクエストにこたえたかったので、あくまで留美は脇役でしたけど。 ーー今作は、読者である私たちも「見えていると信じているもの」が次々とひっくりかえされる構成になっていて、湊さんが15年で磨き上げてきた技巧の凄味も感じました。最初にお話したように、史朗さんの手記としての文体もさることながら、章ごとにリズムやスピードも違いますよね。抑制がきいているところと、ギアがあがるところ。その切り替えも巧みで。 湊かなえ:ありがとうございます。まずね、第一章の手記だけで一冊の本として成り立つようにしよう、と思ったんです。我が子にまで手をかけた異常殺人犯、怖いなあ、おぞましいなあ、と読者が思ったところで景色が変わる展開にしようと。そのためには各章の読み心地も変えた方が効果がある。連載小説なら各章のページ数をそろえた方がいいけれど、書き下ろしなので区切りのつけ方も変則的にすることで、抑揚がつけられるなと思ったんです。意図的にバランスを崩すことで、読者を驚かせようと思いました。 ーーなるほど……! 湊かなえ:あと、今作ではあえて目次をなくしました。章タイトルを見ると、展開の予想がある程度ついてしまうので。ほかにもいろいろ考えました。絶対に原稿用紙400枚で書こうとか。私のなかで、一晩で一気読みできるエンタメ小説の長さはだいたいそれくらいなんです。『告白』もそうですし、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』もそう。 ーーそんなところまで……! 湊かなえ:装丁もこだわりました。デザイナーの片岡忠彦さんは、『告白』や『落日』、『ブロードキャスト』などでもお世話になった方なので、私の望むイメージをお伝えして、カバーをはずした本体の部分にも趣向を凝らしていただいて。あとはなんといっても、口絵ですね。 ーー少年たちが標本化されたイラスト。どこか官能的な美しさがありますが、作中の描写と照らし合わせるとぞっとさせられもするという……。すばらしかったです。 湊かなえ:描いてくださった高松和樹さんはものすごく人気がありお忙しい方なので、一枚描いていただけるだけでもラッキーだなと思ったら、まさかの6人分描いてくださって、感激しました。この口絵は電子版にも文庫化された際にも収録されないので、単行本だけのお楽しみです。みなさんが、ずっと手元に置いておきたくなる本になるといいなあと思って。装丁もまた、紙の本ならではの魅力だから。 ーーそのイラストが美しいからこそ、標本に固執する狂気がうっすら理解できてしまう気がするのが、おそろしかったです。同時に、美しさにとらわれてしまう私たちに「見えるものを信じすぎるな」と突きつけてもいるようで……。 湊かなえ:どうしても、惑わされてしまいますよね。私自身、色覚のおもしろさにとらわれて考え続けているうちに、色で表現されているものがすべてであるような錯覚に陥ってしまった。色を省いた表現だって、この世には多く存在しているのに……。鮮やかであればあるほど私たちは目を奪われて、その印象に踊らされてしまう。色だけでなく、人は何かに名前を付けてカテゴライズすることで、視野を狭めてしまうところがありますよね。自分に理解できない相手を、サイコパスと呼ぶのもそう。わかりやすいものを中心に置いて、理解する努力を怠ってはいけないし、本質を見失わないようにしなければいけない、というのは今作を書きながらも強く感じていました。 ■極上の満足感を得られる時間を提供したい ーー書き終えてみて、いかがですか? 湊かなえ:『告白』ぶりに、自分が読みたいものを思う存分書けたのが、ものすごく嬉しいです。どんなにテーマが重くて、読んでいるあいだはしんどい気持ちにさせられたとしても、読み終えたあとは「ああ、おもしろかった!」と極上の満足感を得られる時間を提供したい。何より自分自身が、江戸川乱歩などの作品に夢中になったあの時間にたちかえりたい、と思っていたので。 ーーちなみに乱歩のどんなところがお好きだったんですか? 湊かなえ:日常と地続きなのにどこか幻想的なところかな。アンソロジーを編ませていただいた『江戸川乱歩傑作選 鏡』のあとがきでも書いたのですが、昔は放課後も小学校の校庭が解放されていて、いったん家に帰ったあとひとりで遊びに行ったりしていたんです。そこにときどき、大人が一人でやってきて、ブランコに乗って遊んだりしていた。一緒にキャッチボールをしたこともあります。今だったら考えられない話ですし、ときどき、あれは本当にあったことなんだろうかと考えるんです。いくら昔の話だからといって、大人が一人で放課後の校庭で遊んでいるなんてことある?と……。そういう、現実と幻想のあわいみたいな夕方の一瞬が、乱歩の世界には満ちていて、それを味わいたくて私は小説を読むのだと思います。そして無意識に影響を受けている乱歩のような世界観を、私の本を読んでくれた方にも味わっていただけたらなあ、と。 ーー今作の執筆期間中、寝言で「内臓が出てきた!」などとつぶやかれていたと聞きました。これまでにない残虐性の強い作品だからこそ、きつい部分もあったのでは? 湊かなえ:そうですね。アートとしてどう表現するかを考えているときは楽しかったんです。蝶と少年の特性をどう重ね合わせて、どんな装飾をほどこすのか、構想するのは楽しかった。でも、実際に人間を解体すれば内臓が出てきて、処理をどうするかを考えなければいけないんですよね。この体勢で横たわらせるには右足をこうして……なんて自分でポーズをとりながら試しているときは、さすがに「私は何をやっているんだろう」と我に返りました。 ーーちょっと想像するとかわいらしいです(笑)。 湊かなえ:難しいのが、そうした構想って、小説として書く前にメモをしたとたん、忘れてしまうんですよ。もやもやした状態で、書きたいものと違う言葉で残してしまうと、イメージが消えてしまう。だから執筆するそのときまでは脳内にとどめておくしかなくて、ごはんを食べてもお風呂を食べてもずっと考え続けていたことが、寝言に出てしまったんだと思います。それはきついといえばきつかったけど、新鮮で楽しいことも多かったですね。 ーー今作のように、今後も取材して書きたいお気持ちはありますか? 湊かなえ:そうですね。たしかに蝶のことは何も知らなかったし、これまででいちばん参考文献が多いんですけど、決して珍しくて縁遠いものをとりあげたわけじゃない。生まれたときから、あたりまえのようにこの世界にあって触れてきたものに、改めて出会い直したという感覚なんです。そんなふうに、目に見えているのに興味を持とうとすらしらなかったものは、他にもたくさんあるはず。あえて取材して書こうとは思わないけれど、まだまだおもしろい題材は身近にたくさん潜んでいることが知れたので、幅広く興味をもって書いていきたいです。
立花もも