世にも奇妙な「ワープする道」が京都のまちなかに 「鉄道のまち」への変貌が背景「いろんな歴史が…」
京都市下京区から南区を南北に走る「新千本通」。この道を下京区の七条通との交差点から南下しようとすると、道はJR線に沿って西にカーブしていく。 【地図】これが「ワープする道」だ そのまま走り続けると、西大路八条の交差点に到着。あれ? いつの間にか八条通に? 不思議に思って地図を開くと、実は途中でさらに別の名前を掲げていたことが判明した。わずか1キロほどの間で3つの名前を持つ不思議な道路。どのように生まれたのだろうか。 ◆「かなりイレギュラーな道」 新千本通が最初に名前を変えるのは、七条新千本の交差点から300メートルほど南下した地点。信号があり、南東方向にも道が続くように見えるが、これは京都貨物駅への入口で、道路ではない。 地図上では、道はこの地点から「梅小路通」となっている。そのまま南西に約500メートル進むと、御前通などと交わる五差路が現れた。 ここには「大型車は直進のみ」の道路標識が掲げられ、矢印信号も西向きの道を「直進」として優先的に案内する。これに従って進むと、300メートルほどで西大路八条交差点に至った。五差路から西大路通までの区間は「八条通」だったのだ。 どうしてこのような形になっているのか。 京都市道路明示課に来歴を調べてもらうと、新千本通から梅小路通に名前が変わる地点には、かつて西に延びる道路(西塩小路通)との交差点があったことがわかった。その交差点が1955(昭和30)年、工場建設に伴い廃止され、カーブの途中で名前が変わる状態になったようだ。 同課の杉維久男さんは「道路の起点は交差点というのが大前提。取材を受けるまで我々も認識していなかったが、京都市内でもかなりイレギュラーな道だと思う」と話す。 ◆「ワープ」の理由は? では、新千本通はどこへ行ったのか。実は、貨物駅の入口付近でいったん途切れ、JR線の南から再び現れる。約250メートルほど「ワープ」している形だ。 そもそも新千本通は、その名が示すように千本通に対する新道だ。 千本通はかつて平安京の中心を貫く朱雀大路だったが、右京の衰退で道幅を狭め近代に至り、1912(大正元)年の地図には、田畑の中を東海道線の線路をまたいで南北に延びる道筋が描かれている。 だが、翌年に貨物駅(当時は梅小路駅)が設置されたことで、一帯の町割りは大きく変化。千本通の西側に新千本通が開通し、貨物駅北側で西にカーブする現在の形ができた。 その後、1938(昭和13)年の区画整理で新千本通の南側が開通し、分断された新千本通が誕生。梅小路通から八条通へとつながる五差路もこのタイミングで成立した、とみられる。 不思議な道の成立過程をたどると、平安京の外れから田園地帯、そして鉄道のまちへと変化していった一帯の歴史が浮かび上がってきた。 杉さんは「改めて、京都の街にはいろんな歴史が埋もれていると思いました」と話していた。