現代建築界が解けない巨匠の呪縛 国立西洋美術館・文化様式の大革命
日本とル・コルビュジエ
国立西洋美術館は晩年の作品であり、コンクリートのマッシブな表現ではあるが、奔放な造形性は抑えられ、ピロティや上からの自然光など、むしろ前半期の原則が生かされていることを感じる。現在、その設計過程のスケッチや図面が展示されているが、それを観ると、螺旋型のプランから卍型のプランに変化していくさま、外部のプロムナード(遊歩道)と、内部の自然採光の考え方など、コルの頭の中が多少は理解できるような気がした。興味のある方は、ぜひ観ることをお勧めする。 設計には、坂倉準三、前川國男、吉阪隆正といった、直接コルの薫陶を受けた建築家がアシストしている。もちろん彼らの作品にはコルの影響が色濃いが、それがその弟子たちにも、特に東大と早大の出身者には強く残り、さらにその次の世代である安藤忠雄や妹島和代にも影響が感じられる。 その意味で、日本建築界とル・コルビュジエとの関係は深い。 他にこんな国は、コルの弟子でもあったオスカー・ニーマイヤーが首都ブラジリアを設計したブラジルぐらいのものではないか。
「1910-30革命」
筆者は、フランク・ロイド・ライトのロビー邸(1910)から、ル・コルビュジエのサヴォア邸(1931)までの20年間を「人類の建築革命の時代」と考えている。 第一次世界大戦をはさみ、ドイツにバウハウス、オランダにデ・スティル、ロシアに構成主義、イタリアに未来派といった前衛運動が一斉に登場し、ファグス靴工場(グロピウス)、バルセロナ・パビリオン(ミース)といった画期的な建築が建てられた。巨匠たちの時代であるが、理論と創造における最大の革命家はル・コルビュジエであり、彼によって建築様式のモダニズムへの大転換が完成したのだ。 そしてポストモダン(近代以後)が唱えられた時代を経ても、コルの影響は消滅するどころか、むしろ蘇ったとさえいえる。革命性において彼を超えるものが出ていないからである。建築界に「コルの呪縛」というものがあるとすれば、それはまだ解かれていない。 この「1910-30革命」によって、古代ギリシャ以来の地中海・西欧文明の建築様式の歴史が終焉を迎えた。そしてその変革が世界中に広がったのだ。神話的な時代であった。その後、第二次世界大戦があり、社会主義国家の失敗があり、科学技術、特に電子情報技術は大きく発達したのだが、1930年前後に確立された建築モダニズムは揺るいでいない。 筆者はこれまで、建築様式から文化様式を論じてきたのであるが、その論理を適用すれば、人間の文化的価値観は「1910-30革命」によって有史以来の大変革をとげ、その後は、さほど変わっていない、ということになる。