人や組織を同質化させる3種類の圧力
■国際化する企業の課題は、レジティマシーの衝突にある 現在のグローバル経営論で重要なキーワードの一つに、「制度のすき間」(institutional void)というものがある※4。グローバル経営研究のトップ学術誌『ジャーナル・オブ・インターナショナル・ビジネス・スタディーズ』には、制度のすき間に関する論文が多く掲載されている。 一般に「国」というフィールド内では、アイソモーフィズムを通じて、様々なビジネス慣習、制度、仕事の仕方が同質化し、それが見えない常識となっている。しかしその常識は、国によって異なる。したがって、自国では常識だったビジネス慣習が、他国ではむしろ非常識になるのだ。図表1のステージ3で言えば、A国にいた企業がB国という新たなフィールドに進出すれば、まったく異なる常識に直面するのだ。これが「制度のすき間」の理論的背景である。 一般に企業は、市場規模などを理由に海外に進出する。しかし、いざ現地に進出すると、その国の商慣習・ビジネス制度などの「常識」の違いに戸惑うことが実に多い。他方、ライバルの現地企業は、その常識に慣れている。その意味で、海外に進出する企業は、根本的なハンディキャップがあるのだ。この点を分析した興味深い研究の一つが、ジョージワシントン大学のジェニファー・スペンサーらが2011年にSMJに発表した研究だ※5。 この論文でスペンサーらが研究題材として取り上げたのは、ビジネスを円滑に行うために新興国の政府へのインフォーマルな支払いを行うこと、すなわち賄賂行為である。東ヨーロッパに進出した多国籍企業151社のデータ、およびガーナに進出した多国籍企業46社のデータを使った分析からスペンサーらは、(1)現地で賄賂が横行している国に進出した企業は現地で賄賂に寛容になる、(2)一方でOECD加盟国など母国が賄賂に厳しい国の企業は進出先国でも賄賂に不寛容になる、という傾向を明らかにした。 この結果を図示したのが、図表3である。インド、一部の東南アジア諸国、アフリカ諸国などの新興市場では、良くも悪くも賄賂は「空気のような常識」だ。国策プロジェクトを受注するための政府への袖の下から、裁判を結審させるための袖の下、税関をスムーズに通過するための役人への細かな支払いまで、賄賂はビジネス上の切符のようなものである、という現地駐在員も多い。 時には政府高官みずからが要求してくることもある。賄賂を促す、強制的圧力があるのだ。この賄賂が常識になっている環境で、仮に自社だけが賄賂を拒否すれば、事業スピードでライバルに対し、立ち後れることになる。したがって「他社がやっているのだから、当社もやらなくては」という模倣的圧力が働くのだ(図表3の左側)。 ここで困難に直面するのが、新興市場に進出した先進国企業(例えば、日本企業)だ。先進国で、賄賂はご法度である(図表3の右側)。倫理的にいいか悪いかの問題ではなく、賄賂をしないことが「空気のような常識」なのだ。企業コンプライアンスが強化されている日本も、その風潮は強い。 ここで日本企業が、新興市場に進出するとどうなるだろうか。繰り返しだが、インドやアフリカ諸国では「賄賂が常識」のところも多い。その環境で、現場を知らない日本の本社から「賄賂は絶対にするな」と命じても、それは現地のレジティマシーに合致せず、競争に参加すらできない。結果として政府案件を失注し、絶対に勝てるはずの裁判に敗訴し、許認可が得られずライバルにスピードで負ける、という状況に陥るのだ。 このように、いまインドや一部の東南アジア等における日本企業の現地法人は、現地での「賄賂をしないと話にならない」と、本国からの「いや、絶対にするな」という、二重のプレッシャーの板挟みになっているのだ。新興市場と日本企業という2つのフィールドが重なることで生じるレジティマシーの衝突である。これを、「制度の重複」(institutional multiplicity)と呼ぶ。 逆に、本国が賄賂に寛容な国の企業は、新興国での「常識」にも順応しやすくなる。実際、誤解を恐れずに言えば、いまアフリカ諸国で中国企業が圧倒的なスピードでプレゼンスを高めている背景には、中国企業は新興国で「常識の衝突」に悩まないで済む、という側面もあるはずだ。結果、新興市場で日本企業はさらに差を開けられてしまう。 では我々はどうやって、このレジティマシーの普及と衝突の時代を勝ち抜くべきなのか。これは制度理論の最前線の問いであり、いまも世界の経営学者によって多くの研究が生み出されている。次回から、私見を挟みながら、筆者が特に重要と考える2点を議論したい。 【動画で見る入山章栄の『世界標準の経営理論』】 社会学ベースの制度理論 ソーシャルキャピタル理論 ダイバーシティ経営がイノベーションを起こす ※4 例えば Peng, M. W. et al., 2008. "An Institution-Based View of International Business Strategy: A Focus on Emerging Economies," Journal of International Business Studies, Vol.39, pp.920-936. を参照。 ※5 Spencer, J. & Gomez, C. 2011. "MNEs and Corruption: The Impact of National Institutions and Subsidiary Strategy," Strategic Management Journal, Vol.32, pp.280-300.
入山 章栄