きれいなサクラも被災者の苦労も「能登の今を伝えたい」支局カメラマンの思い
多くの市民・町民が被災した能登半島地震ですが、北陸放送能登支局のカメラマンも、自宅が大きな被害を受けました。自身も被災しながら取材を続けてきましたが、能登は何が変わって、今も何が変わっていないのでしょうか。カメラマンが見つめた被災地の3か月半です。 【写真を見る】きれいなサクラも被災者の苦労も「能登の今を伝えたい」支局カメラマンの思い MRO能登支局の保蔵篤史カメラマン。生まれ育った能登の美しい風景、祭り、季節の話題を多くの人に届けるため日々取材を続けています。 そんななか、能登半島地震で日常が一変しました。仲の良かったいとこの息子が尊い命を落としました。 MRO能登支局・保蔵篤史カメラマン「年賀状が届いていて『6年生になります』って。まだまだ大変な人がいっぱいいるんです。その人のことをやっぱり伝えていきたい。そういう思いになっています」 地震から3か月が過ぎました。 保蔵カメラマン「能登さくら駅はわりと毎年来ています。大きな地震がありましたけど、キレイです。元気になります」 石川県穴水町ののと鉄道能登鹿島駅。ホーム沿いのおよそ100本の桜並木が訪れた人の目を楽しませ「能登さくら駅」の愛称で親しまれています。今年も変わらず花を咲かせてくれました。 ホームに入ってくる列車と綺麗なサクラの映像を届けることも毎年決まった私の仕事です。 保蔵カメラマン「もう1回。(撮影が)あんまりよくなかった。人が多すぎてすごいです」 地震で線路がゆがむなど被害を受けたのと鉄道は、懸命な復旧作業が連日続きました。4月6日に全線で運行が再開されました。 能登さくら駅は、今年は例年以上に多くの人でにぎわっていました。列車の運行再開がサクラの季節に間に合って本当に良かったです。 保蔵カメラマン「地震があっても変わらない景色でよかったなって。すごくキレイ!地震があったけどここはほぼ変わらない。前と同じ能登が今年も見られるよって伝えたいかなって。いつも通りみたいな感じがして」 一方、まだ始められない春の風物詩もあります。能登で「春告魚(はるつげうお)」と呼ばれるイサザ。春の産卵期に川を溯上する習性があり、私の地元、穴水町では古くから漁が行われています。