【濱口竜介『他なる映画と』】蓮實重彦が映画批評家たちは嫉妬を抱くべしと言った映画批評【群像WEB】
「蓮實重彦神話」解体
濱口:この話題に関連してお伝えしたいのですが、『歴史編』の中で特に胸を打たれた論考の一つが「ロッセリーニによるイタリア映画史」でした。この文章の中で、これは本当に有名なフレーズですけれども、「魂の唯物論的な擁護」ということで蓮實さんがロッセリーニに触れられていると思います。 これは私の世代やより若い世代に限ったことなのかもしれませんが、蓮實さんの批評に対して、ある種の誤解があるような気がしています。蓮實さんの批評は「表層批評」として知られています。そして表層批評というのは、見えたものについてしか語らない、要するに、形式主義的な批評である。イコール、見えないもの、不可視なもの、特に魂などについては語ることはできないという立場の人として、蓮實さんを捉えている人がもしかしたらいるかもしれません。 蓮實:そういう方が多いと思います。 濱口:でも、蓮實さんが批評において、映画体験において常に狙い定めていたものは、ところどころ出てくる「魂」という言葉─ブレッソン論にもやはり出てきたと思うのですけれども─不可視なものだと思うのです。ただ、その条件として、あくまで「見る」ということをしなくてはいけない。徹底的に「見る」という手続きを通じて、不可視の領域を浮かび上がらせていく。 ただ、この機会に超人的な視聴覚を持つと思われている「蓮實重彥神話」を一つ解体してみたい。蓮實さんは、映画を見るということは見逃すことなのだということを誰よりも思い続けながら、批評を書いていらっしゃる方なのではないかと私は思っています。「見る」ということは「見逃す」ことと常にセットである。その自覚が蓮實さんの眼差しを、映画の歴史より「現在」へと向けさせるのだと思うのです。 蓮實:確かにそうなのです。実際、日常生活で、「自分はあの映画を見た」などとよく言えるものだなと思ってしまいます。中学生だった時代なら、『壮烈第七騎兵隊』(1941)を見たぞ、見たぞとクラスメイトのみんなが喜んで口にしていたものですが、ある時期から、「見た」とは何かということが自分の中でグラグラと崩れ始めて、見るべきものを、じつは見ていないのではないかと不安になったのです。映画は見ているはしから遠ざかるものなのだから、いくら両手で追っかけようとしても、掌の中には何も残っていない。つまり、永遠の距離があるからこそ映画は映画なのだということが、漸くにして理解できたのです。にもかかわらず、魂の唯物論みたいなものをごたごたと書いていたのは、つまり、見たつもりが、手の中に何も残っていないということに気づいたからなのです。 濱口:それは何か特定の作品についての、具体的な体験があったんでしょうか。 蓮實:いいえ、そういうものじゃあない。次第にそうなっていったのです。しかし、あえていうなら、小津の映画を何度も見直し、こんなショットがあったのに自分はそれを見逃していたという、『監督 小津安二郎』を書いていたときの体験が大きいのかなという気もしています。その体験は、もちろん『ジョン・フォード論』を書いていたときにも再現されていました。 濱口さんも小津には随分言及していらっしゃいますね。「アンパン─『麦秋』の杉村春子」(『他なる映画と 2』)の「アンパン」の一語を切り取った文章なんて、うれしくて歓声を上げてしまいました。 濱口:ありがとうございます。蓮實さんが明確に「見逃し」の自覚を得たのが、『監督 小津安二郎』を書かれていたとき、つまり四〇代のときであったというのは本当に、勇気づけられることだと思います。恥ずかしながら「アンパン」はあの場面を何十回も見直して書いた文章です。つまり、それだけの見逃しの上に書かれた文章なんです。 蓮實:小津の場合、幸いわたくしはキャメラマンの厚田雄春さんと親しくお付き合いさせていただきました。引退後も現役そのもののように生き生きと振る舞っておられたその厚田さんとお話ししていたとき、ああ、そうか、そんなショットもあったのだと、改めて気づかされることもしばしばありました。要するに、映画というのは見逃すことにほかならない。見終わっても見たという気にはなかなかなれないものが映画であり、なおかつ、見た気になるけれども、その総体を自分は見ていないのだということを、強く認識しなければいけないと思ったのです。その頃から、「見た」などとたやすく言うなという気持ちが強まっていったのです。 それを克服するにはどうすればいいか。濱口さんのブレッソン論の唯物論を目の前にして、あなた方には何ができるかというような感じを受けとっていました。 ぜひ群像12月号と『他なる映画と』、『ショットとは何か 歴史編』をご覧ください! 関連記事:【濱口竜介×蓮實重彦】若い人は『ショットとは何か 実践編』のここを読もう【群像WEB】はこちらから。 関連記事:【試し読み】蓮實重彦「署名の変貌」第一章試し読み【濱口竜介監督も推薦】
蓮實 重彥、濱口 竜介