エロい、グロい、アヴァンギャルド! 生と死の狭間にあるエロスの世界へと誘う反骨の映画監督・鈴木清順の知られざるトラブル史
1980年代初頭、アヴァンギャルド映画の巨匠・鈴木清順監督による2本の映画が製作された。のちに伝説的存在となる『ツィゴイネルワイゼン』(1980)と『陽炎座』(1981)だ。さらにその10年後に製作された『夢二』(1991)と併せ、浪漫3部作と呼ばれる幻の映画たちが4Kデジタル完全修復版としてスクリーンによみがえった。 【画像】鈴木清順監督の映画作品たち
そもそも鈴木清順監督ってどんな人?
鈴木清順の名が世に出たのは、日本映画界がまだスタジオシステムだった(松竹・東映・大映・新東宝・東映の5社が専属の監督・俳優を抱えていた)1956年。5社がそれぞれ年間100本もの映画を製作していた時代に、日活から『港の乾杯 勝利をわが手に』(1956)で監督デビューした。 量産されるプログラム・ピクチャーの中で、毎作ひと目で誰の作品かわかる個性的な映画を作り続けた反骨の人・鈴木清順の軌跡は、トラブルの歴史でもあった。 デビュー翌年、『8時間の恐怖』(1957)というサスペンスをなぜかコメディに仕上げ、半年間仕事を干されたのを皮切りに、新人俳優・渡哲也を売り出すために歌謡アクションとして企画された『東京流れ者』(1966)を、アヴァンギャルド映画に仕立てて会社に激怒された。 続く『殺しの烙印』(1967)では、宍戸錠扮する殺し屋を“電気炊飯器でお米が炊ける匂いにエクスタシーを感じる変態”という設定にしてしまい、とうとう日活社長から「わけのわからない映画を撮る監督はいらない」と解雇されてしまった。 その後、会社の枠を超えて解雇無効を訴える映画人・ジャーナリストらによる「鈴木清順問題共闘会議」が結成され、丸10年間の裁判で争い、ようやく『悲愁物語』(1977)で現場復帰が叶う。すると、スタジオシステムが崩壊し、角川映画をはじめとする新興勢力が出てくるなど様変わりした映画界の中にあって、俄然、余人には真似のできない個性で最注目映画作家の座へと躍り出たのだ。
4Kデジタル完全復刻版で蘇る浪漫3部作
この度、鈴木清順生誕100年を記念して4Kデジタル完全復刻版で蘇るのが、浪漫3部作と呼ばれる『ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』の3作品だ。 アングラ劇団・天象儀館の主宰者から『愛欲の罠』(1973)で映画プロデューサー兼俳優として打って出た荒戸源次郎と、日活解雇から10年ぶりに『悲愁物語』で映画監督に復帰した鈴木清順監督とがタッグを組んで映画製作することになったとき、はじめから『ツィゴイネルワイゼン』と『陽炎座』は2本セットの形で検討されたという。そして、比較的予算が少額で済みそうな前者を先に製作することにした。 主演には、『悲愁物語』に引き続き原田芳雄が抜擢され、結果的に原田は浪漫3部作のすべてに出演することになる。ただし、『ツィゴイネルワイゼン』はむしろ清順監督の日活の後輩監督である藤田敏八演じる大学教授がむしろ主人公で、原田芳雄はトランプでいえばジョーカーのような役回り。この立ち位置は、続く『陽炎座』、『夢二』でも一貫している。 原田芳雄は劇団俳優座を出発点に、スタジオシステムの最終期に、ロマンポルノへ移行する直前の日活で活躍した。その後は『竜馬暗殺』、『田園に死す』(共に1974)や『祭りの準備』(1975)など、アート・シアター・ギルド(ATG)配給の低予算の意欲作に多く主演し、インディペンデント映画の旗手のポジションにあった。