ブラジル日系社会『百年の水流』再改定版 (35) 外山脩
歓迎会で山県は、自分の全盛時代の写真を貼ったアルバムを取り出して披露した。汽船や炭鉱などの写真だった。それを見た客たちはビックリ、そんな大資本家を迎えたことを大喜びした。 ところが、支配人の安田は青くなっていた。貨車二輛分の料金が未払いとなっており、山県に言うと、 「金はない。君がよい様に取り計らっておけ。支配人が、それくらい宰領できないでどうする」 と撥ねつけられたからである。 安田は、ファゼンダの所有者の弟がマカエの町に住んでいたので、体裁の悪い思いをして借りて支払った。 その晩、山県は安田にこう言った。 「我々は、今までは安田君、山県さんの中であったが、これからは君を呼び捨てにする。君は、わしを大将と呼べ!」 翌日から、その大将はステッキを片手にその辺を悠々と散歩した。が、懐中は無一物であった。 支配人の安田は、ともかく現金払いを一切、逃れようとした。ファゼンダの中に店を開き、カスタード(疑似紙幣)を発行した。 使用人への賃金は、これで支払い、必要品は店で買わせた。商品の卸元からは、先払いで仕入れた。 ファゼンダの収入は、時期も金額も限られるから、資金繰りは苦しかった。 安田は早朝から真夜中まで働いた。が、給料は出ない。それでも山県は知らぬ顔であった。 このファゼンダについては「日本民族のため活用する」と豪語していた。ここに植民地を建設しようとしていたのである。 しばらくすると、日本から山県を追って来た配下、食客の類いが、とぐろを巻くようになっていた。彼らや来客を前に山県は、 「これから三十年後には、日本とアメリカは、太平洋の利権をめぐって衝突する。その時のため、日本はブラジルと仲良くしておかねばならない。いざ戦争という場合、日本海軍はリオを根拠地として、ニューヨークを攻撃するのが、最も効果的だ。それを援護するため、陸軍の一個師団を、この山県農場に駐屯させる」 と大構想をブッテいた。 これまた奇妙なことに、日米戦争の予想では、時期までピタリと的中させている。 その内、山県は安田に、 「製塩事業をやりたい。それに適した土地を探してこい」 と命じた。が、経費は一切出してくれなかった。やむを得ず、自費で海岸沿いに適地を探して歩いたが、途中、飢えて窮した。浜にあった船で一晩寝た。朝になってやってきた漁師が、安田の飢えた様子を見てポンとカフェーをくれた。 翌日は道端のあばら家の黒人老女から、マンジョカの粉を練ったものと干し肉の切れ端を貰った。 いずれも質素な飲食物だったが、この時ほど美味さと人の好意の嬉しさを感じたことはない──と安田は生涯、語り続けることになる。 塩田の候補地は見つかり、帰って山県に報告した。ところが、海岸の土地は海軍の許可を得なければ借地もできないこと、外国人には許可がおりないことが判り、計画はボシャッタ。 その後も山県の無茶が続くので、安田はとうとう逃げ出した。 山県は、ファゼンダの売買の時、安田が売り手から当然コミッソンを貰った筈だから、給料は必要ない、と決めてかかっていたらしい。無論、そんなものは貰っていなかった。 安田が逃げ出したのと同時期、山県は、日本で実業家として成功している弟から、まとまった額の送金を受けている。それは、日本で破産した時、債権者に内緒で預けておいたモノだった。そういう当てがあったので、悠々としていたのであろう。これでファゼンダの代金の一部を支払ったようだが、植民地の建設には着手していない。土地が植民地には不向きだったという。