成長する人は最終評価を他者に委ねない。ブレない教え『易経』が教えてくれる大切なこと
「六四卦」の最後に、なぜ「未完成」を示す卦が置かれているのか?
著者によれば「未済(びせい)」は未完成という意味。この卦には、小ギツネの寓話が添えられているのだといいます。 小ギツネが、大きな川を渡ろうとした。 尾を濡らさないで渡るのは無理かもしれないと思ったが、自分なりに頑張って、 尾を水の上に立てたまま、ほとんど渡り切る寸前まで至った。 しかし、そこであやまって、大事な尾を水につけて濡らしてしまう。 尾が濡れたら重くなる。もう泳げない。渡るのは無理だ。 大きな川に挑もうとする意気込みは、良い。 でもそのためには、しっかり準備することが必要なのだ。 自分の至らない点を恥じ、深く反省しなければならない。(41ページより) このように、小ギツネが未熟と準備不足のため河を渡ることに失敗する話から始まるわけです。 しかし、決して悲劇では終わらないのも事実。小ギツネの今後の成長が行間から伝わりますし、最終的には渡れることも予想されるからです。つまりその心が、「未」の文字に込められているということ。(40ページより)
「不」「無」「非」ではなく、「未」
もしこれが、「不済」や「無済」や「非済」だとしたらどうでしょう? それらが意味するのは、「結局ダメだった……」というバッドエンド。濡れて重くなった尾のために、小ギツネが溺れ死ぬ話になっていたかもしれないということです。 しかし、これは「未済」。まだ終わっておらず、「未熟」を反省して次に進めばいい、成長せよ、という教訓でもあるのです。(41ページより)
「この人はまだ、これから成長し、成熟する可能性を持っている」というマインド
こうした、相手の可能性を信じ続けるマインドこそ、とくに人を導く立場の人間が持つべき「ブレない軸」ではないか? 著者はそう記しています。 英語の「education(教育)」の語源は、ラテン語の「引き出す」だという説もあるそう。 つまり、「相手の可能性を引き出す」という意味がそこには込められているわけです。なお、その具体化の意味で、もうひとつ重要な教訓がここにはあるのだといいます。(41ページより)