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事件が起こると「社会の責任だ」としてしまうメディア
飯田)容疑者を生んだ社会の病理を、この事件から報じるのだと。 佐々木)80~90年代はグリコ・森永事件や神戸連続児童殺傷事件など、劇場型犯罪が多かったではないですか。当時、私は新聞記者でしたが、あまりにも社会に対するインパクトが強すぎるので、犯人像から社会を逆批評するような取材手法が流行った傾向がありました。「社会が悪いのだ」という方向に無理やり持っていくようなメディアの風潮は、あの時期にできたのではないでしょうか。 飯田)80~90年代に。 佐々木)未だにそれを引きずっている部分があって、何か事件が起こると、「これは我々の社会の責任なのだ」としてしまう。もちろん背景事情としてはあるのですが、それを言い出したら「すべての犯罪は社会に責任があって、犯罪者には責任がない」となりかねません。あまり過剰に「社会の責任だ」と言わない方がいいと思うのですが、この辺りの話はメディアの人には通用しない感じがするのですよね。
事件に対してロジックをつくって納得したがるメディアと社会
飯田)他方で、社会全体としても何かロジックをつくって納得したい欲求があるのでしょうか? 佐々木)でも犯罪者は、よくわからない衝動に突き動かされて事件を起こす人も多いのです。 飯田)佐々木さんご自身も社会部で取材していると、そういう人に出会うことが多かったですか? 佐々木)当時は「モンスター」と言っていましたが、「なぜこんなことをするのかわからない」という人が一部いました。「そんなものまで社会の責任にしていたら、社会の方はたまったものではない」と思いましたが、それだと飯田さんがおっしゃったようにロジックがないではないですか。そのため、「だからこういうことをしてしまった」という物語をつくりたいのです。 飯田)理解しがたい不確定的なものをそのままにしておくのは、人間の生理として難しいところがあるのでしょうか? 佐々木)映画やドラマのように納得したいのですよね。映画やドラマだと説明されるではないですか。 飯田)筋書きがしっかりあって、最後にオチまで持っていく。 佐々木)それを現実の事件にも当てはめたいという気持ちがあるのではないかと思います。