「福原遥のイメージをいい意味で壊したかった」『透明なわたしたち』監督が伝えたい“人間の危うさ”
福原遥が主演を務めるABEMAオリジナルドラマ『透明なわたしたち』が、2024年9月16日よりABEMAで配信されている。同作は『ぜんぶ、ボクのせい』『Winny』の松本優作が監督と脚本を務め、『余命10年』『ヤクザと家族 The Family』の藤井道人がプロデュースした、20代の若者の葛藤や悩みを鮮明に描いた社会派サスペンスだ。 【写真】松本優作の撮り下ろしカット 今回のインタビューでは、監督・脚本を務めた彼の作品作りの原点から、作品を作る上で大切にしている考え方を聞いた。松本が本作で描きたかった社会へのメッセージとは。 ・お話をいただいた際は“ABEMA感のない”作品テーマに驚きも ――まずは『透明なわたしたち』を手がけることになった経緯を教えてください。 松本優作(以下、松本):1年以上前にABEMAのプロデューサーの中村(好佑)さんとBABEL LABELのプロデューサーの瀬崎(秀人)さんからABEMAで青春群像劇を作りたいですというお話をいただいてスタートしました。ABEMAのドラマは僕も見たことはあったんですけど、これまで僕が手がけてきた作品はABEMA感がなかったので、そういう意味では驚きがありましたね。 ――そういう意味ではある意味で挑戦だったのでしょうか? 松本:そうですね。ドラマの脚本を書くのは自分自身初めてだったので、そこが大きな挑戦でした。 ――脚本を作るにあたって、藤井道人さんとはどのような話し合いが行われたのでしょうか? 松本:藤井さんとは先輩と後輩みたいな間柄で、昔からお世話になっていて。今回で言うと、細かなシーンについてどうこう話し合ったというよりは、大きなテーマの部分で様々なアドバイスをいただきました。僕自身、これまで内に内に入っていってしまうような作品作りをしてきたので、それを世にどうやって広げていくかという部分で、藤井さんの助けを借りながら作り上げていきました。 ――本作は渋谷で起こる、通り魔事件から物語が動き出していきます。松本監督の作品は実際に起こった事件をベースになっていることが多いですが、今回もそういった事件がモデルになっているのでしょうか? 松本:今回に関しては“この事件”というわけではなくて、日々いろんな人が普遍的に感じている感情みたいなものをベースに作っていきました。普段私たちが生きていくなかで、たとえばすごく凶悪な事件が起きたとして、ニュースを通してその情報を受け取るときに、やっぱりどこかで犯人と自分は違うものと思いたいというか、犯人と自分とを区別することで自分が安心できるみたいな感覚があると思うんですよ。でも実際は犯人も自分たちと同じ人間で、そこに至るまでにいろんな過程があって、そこに行きついてしまっている。そこの想像力を働かせないと、そういう事件は根本的になくならないと思っていて。そこの過程を丁寧に描くことを今回は大切にしました。犯人がなぜこうなってしまったのかというところの想像力を働かせることで、今後同じような事件を少しでも減らすことができるかもしれない。 ――それで言うと、現代社会はまさに自分たちの近くでそういった現象が起こっていますよね。SNSでは日常のように自分と誰かの間で分断が起こってしまっていて、相手への想像力がかけてしまっている。 松本:まさにそうですね。受け取る側もリテラシーを高く持っていかないと、なかなかいまの社会を生きていけない部分がある気がしていて。でもそういうものって教えられてこないじゃないですか。これからはいまの社会とどう向き合っていくのかというところを真剣に考えないといけないですよね。 ――冒頭のユリが屋上から飛び降りるシーンと犯人が渋谷で殺人を犯すシーンが対照的に描かれていましたよね。特にユリは生きにくさを抱えた若者の象徴として描かれているように感じました。 松本:僕自身、もともと映画を作ろうとしたきっかけは自分の友達が自殺してしまったことだったんです。加えて、丁度そのときに秋葉原で無差別殺人事件が起きたんですよ。それって全く違う場所で起こった出来事なんですけど、その矛先が自分なのか他者なのかという部分ですごく近しいものがあると思っていて。誰しもどちらに転んでしまう危うさがある。根本的には抱えているものは同じであるというのを伝えたくて、冒頭のシーンにつながりました。 ・福原遥は「主演の器がある人」 世間のイメージをいい意味で壊したかった ――今回のキャスティングはどのように決めたのでしょうか? 松本:キャスティングに関しては、プロデュース陣と話し合って、この役だったらこの人しかいないよねというところからオファーさせていただきました。こういうテーマって、一見重たいなと感じて手が伸びにくいと思うんですけど、それを見ていただかないと作品としては意味がない。ただ、安易に売れている役者さんだからとか、フォロワーが多いとか、そういう選び方ではなくて、本当にその人じゃないといけない理由を話し合いながらキャスティングは詰めていきました。 ――主演の福原さんが記者として葛藤する姿はとても新鮮に映りました、松本監督からなにかディレクションはされたのでしょうか? 松本:いままで見たことがない福原さんを撮りたいという思いがあったので、福原さんのイメージをいい意味で壊したいというお話をさせていただきました。 ――福原さんの印象はいかがでしたか? 松本:すごくいい人でした(笑)。主演となると普通だったら自分のことだけで精一杯で、周りが見えなくなってしまうと思うのですが、福原さんは自分のことよりも、相手のことを大切にする方で、常に気を配っていた印象があります。よく言わせていただくんですけど、すごく主演の器がある人だなと思います。 実は僕も勝手な福原さんのイメージを持ってしまっていて。でも、お芝居の振り幅も含めて、自分が想像していた以上の振り幅を持たれていたので、僕自身も見たことがない福原さんを発見させていただきました。 ・「映画作りを通して社会を見つめる作業をしている」 ――そもそも松本監督が映画を作ろうと思ったのはなにがきっかけだったのでしょうか? 松本:ずっと音楽をやっていたんですけど、なかなか芽が出なかったんです。そこで友達のバンドの映像を撮り始めたのがきっかけでした。あとは最初に作った短編がやたら先生に褒められて、そこでちょっと勘違いして、いけるかもしれないと思って本格的に映画を作り始めました。 ――最初から映画を作りたいと思っていたわけではなかったんですね。 松本:全然違いましたね。ただ、音楽にも映画にも共通しているのは社会を描くということ。それで言うと映画とかドラマという形に執着しているわけじゃなくて、自分が表現したいものが映画やドラマのフォーマットに合っていたと言いますか。なので、これから自分の表現したいものが変わったときに、その表現方法も柔軟に変わるのかなと思います。 ――映画『Noise ノイズ』や『ぜんぶ、ボクのせい』をはじめ、現代の生きにくさみたいなものが共通のテーマとしてあるように感じたのですが、松本監督のなかで作品を作る原動力になっているものはなんですか? 松本:僕自身、上京してから上手く生きられずに苦しい時期があって。その負のパワーみたいなものを原動力として作品作りにぶつけている感覚があります。自分の抱えている負の感情を作品にぶつけられなかったら、僕ももしかしたら事件を起こしていたかもしれない。そう考えたときに自分自身が感じてきたような苦しみとか辛さみたいなものが原動力になっている気がしますね。 ――社会性のテーマを正面から描くことはこれまで日本では抵抗感があったと思うんです。松本監督の作品はそこにしっかりと向き合っている。それは社会を変えたいという使命感みたいなものがあるのでしょうか? 松本:もともと社会を知りたいという欲望から始まった部分があって。それは上から社会を描くんだっていうような姿勢ではなくて、いまの社会を知っていくために作品を作っている感覚に近いんです。同じように苦しんでいる人たちに少しでも前を向いて一緒に歩けるような作品を作りたいという思いが根底にあります。 ――とはいえ、臭い物に蓋をしたくなる人が大半だと思います。松本監督は目を背けたくなることはないのでしょうか? 松本:もちろん僕も普通の人と同じように嫌なことから目を背けてしまいたくなることはありますよ。でも、そこにちゃんと向き合っていかないと社会は変わらない。僕自身も映画作りを通して社会を見つめる作業をしているような感覚に近いかもいしれません。 ――最後にドラマを楽しみにしている方にメッセージをいただけますか? 松本:内容を見ていただくと、構えないと見られないように思われてしまうかもしれないんですけど、まずは気楽になにも考えずに見ていただきたいです。今回は群像劇でいろんな登場人物がいるので、若い人たちだけではなくて、親の世代とかいろんな世代の方が登場人物に共感できると思いますし、誰かにとって大切な作品になってくれたら嬉しいです。
川崎龍也