リベラル・デモクラシー跡地に現れる中東・イスラーム「ポスト冷戦の実相」|9・11から20年:絶対の「自由と民主」が去った世界で
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今年の9月11日の米同時多発テロ記念日は、さほど注目を集めることもなく去っていくのではないかと、一時は思われた。近年は9・11事件の記憶も薄れつつあり、記念日に取り立てて目を引く報道やイベントがないままで過ぎるようになっていたからである。年を経るにつれて、実行犯の逮捕・起訴・公判といった新事実も出なくなり、犠牲者の追悼や遺族の回顧といった切り口も新味がなくなってくる。いきおい、メディアでの取り上げ方もおざなりに、型通りのものになってきているように見えた。 それも当然である。9・11事件後に生まれ、この事件の発生とその後の国際情勢の変転をリアルタイムで目撃し過ごしてきた経験を持たず、現代という時代を決定づける共通体験としてこの事件を実感することがなしえない新世代も、すでに成人に達してきている。この事件を切り口にして現代の国際政治や社会を論じるという語り方・視点そのものが、多くの人にとって古臭い昔話に感じられる日が、やがて来る。いや、気の早い人にとって、その日はもうとっくに来ていたのかもしれない。 「9・11とその時代」というテーマへの関心の希薄化を一変させ、過去20年を一時代として振り返り検討し討議する状況を再び呼び覚ましたのは、やはり超大国米国の新たな一手とそれが引き起こした波紋だった。
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池内恵