ゼロ戦とB29の諫早墜落から80年 日米搭乗員を追悼、平和誓う「後世に語り継いでいく」 長崎
太平洋戦争中の80年前、長崎県諫早市上空で交戦の末に墜落して犠牲となった、米B29爆撃機と旧日本軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の搭乗員を追悼する式典が21日、同市小長井、高来両町にそれぞれ建立されている鎮魂碑、慰霊碑の前であった。B29が墜落した小長井町の鎮魂碑前であった追悼式では県立諫早商業高の生徒会長、末岡志帆さんが「平和のバトンを受け継いだ私たちが後世に語り継いでいく」と決意を語り、英語でも追悼の言葉を述べた。 市民有志でつくる日米友好追悼の会(荒川明継会長)の主催。大規模な式典は2015年以来。 同会によると1944年11月21日、日米両軍が同市上空で空中戦を展開し、坂本幹彦中尉=当時(21)、佐賀県出身=のゼロ戦がB29に体当たりし、B29は小長井町沖に墜落。搭乗員の11人全員が死亡した。坂本中尉のゼロ戦も飛散し、翌年1月に高来町の山中で遺体が見つかった。 92年に同会名誉会長の犬尾博治さん(90)=同市泉町=らが高来町古場の山中に坂本少佐(死亡後2階級特進)の慰霊碑を建立。翌93年には小長井町の住民らがB29墜落現場近くの海辺に鎮魂碑を建てた。 今年に入り、諫早市美術・歴史館の専門員、大島大輔さん(48)の調べで、同じ空中戦で大村、諫早両市の上空で散った旧日本軍3人の名前が新たに判明したことから、高来町の慰霊碑の土台に記した。 小長井町であった追悼式には約150人が参列。荒川会長は「恒久平和の道しるべとして、未来ある若者たちの幸せを願って今後も鎮魂碑、慰霊碑を残していきたい」と式辞。両会場で参列者が献花したほか、海上自衛隊や米軍関係者らが鎮魂碑、慰霊碑にそれぞれ献酒して犠牲者の冥福を祈った。