3年ぶりにナビスコ杯を制した鹿島アントラーズに蘇った勝者のメンタル
実際、若手や中堅は伸びた。2014年に初の2桁ゴールをマークした、入団8年目のMF遠藤康の急成長はセレーゾ前監督の存在を抜きには語れない。 昌子がDFリーダーを拝命したのは、2013年のオフに当時31歳の元日本代表・岩政大樹(現ファジアーノ岡山)との契約更新をフロントが見送ったからだ。 若手が実力で勝ち取るべき世代交代が、フロント主導で進められる。鹿島が置かれた状況を理解した岩政は、昌子に熱いエールを送って去っていった。 「お前の潜在能力は高い。必ず鹿島を背負うセンターバックになれる」 その一方で、紅白戦などで真剣勝負が高じて殴り合いに発展することも珍しくなかった、鹿島伝統の激しさが薄まっていた。理由は日々の練習にあった。不慮のけがを恐れていたのか。セレーゾ前監督は紅白戦などでスライデンングタックルを厳禁としていた。 迎えた2015年。第1ステージで8位に甘んじ、第2ステージでも3試合で勝ち点4と出遅れた直後の7月21日に、セレーゾ前監督は解任される。 コーチから昇格した石井正忠新監督は、Jリーグが産声をあげた1993年に鹿島の攻撃的MFとしてプレー。神様ジーコの薫陶を強く受け、現役引退後もコーチやフィジカルコーチとして鹿島に携わってきた。 黎明期のスピリットを熟知する48歳の指揮官は、まず練習におけるスライディングタックルを解禁。最初のミーティングでこう訴えた。 「戦う姿勢を見せてほしい」 前監督のもとで植えつけられた「個の強さ」と、たとえレクリエーション的なミニゲームでも負けることを拒絶する「勝者のメンタリティー」。これらが融合とした結果として第2ステージは一転して優勝争いに絡み、決勝トーナメントから登場したナビスコ杯では頂点に立った。 試合後の取材エリア。G大阪のキャプテン、MF遠藤保仁は90分間を通して鹿島に見せつけられた球際の強さと激しい闘志に白旗をあげている。 「負けるべくして負けた」 鹿島が獲得した17個のタイトルのうち、実に14個を自身の脳裏に焼きつけてきた小笠原は、勝ち取ったナビスコ杯の価値をこう位置づける。 「自分が若い頃も上の人に支えられながらタイトルを取って、成長できた部分がある。タイトルをひとつ取って、またああいう経験をしたいという気持ちが芽生えてくる。そういうことの積み重ねで、チームは強くなっていく」 黄金世代からバトンを託されるべき世代の中心として、MF柴崎岳とともにフロントから指名された1992年生まれの昌子も決意を新たにする。 「間違いなくチームを前進させるタイトルだし、僕自身のキャリアのなかでも大きなものなるけど、正直、僕たちはもう若手じゃない。僕たちの下にもう十何人といるわけで、そういう状況で僕や柴崎といった中堅がしっかりとチームを引っ張っていかないと」 2年ぶりのタイトルとともに、ようやく刻まれた世代交代への第一歩。もっとも、バトンはまだ完全には受け渡していないと最年長でのMVPに輝いた36歳の小笠原が力を込める。 「やれるものならやってみろ、というのはあります。まだまだ僕らも負けていられない」 ここから先は実力だけの勝負。濃密な経験を武器としながらいぶし銀の輝きを放つベテランと、自信を糧に潜在能力をさらに解き放とうとする中堅や若手。ナビスコ杯制覇が下剋上の最終章への呼び水となり、鹿島の勝者の歴史を加速させる。 (文責・藤江直人/スポーツライター)