「多数決は少数派に対する暴力」…「しようがない」で受け入れないで!大人も気付かない「多数決の問題点」
多数であるからといって正しいとは限らない
もうひとつは、多数決でとんでもない方向に進んでしまう可能性があること。 もし、3人がノリで「ようし、ゲームとかサッカーとかショッピングとかつまんないから、万引きしよう!」って言い出したらどうだろう? 多数決を取ると万引きに決まってしまうよね。 つまり、多数決は正しさとは何の関係もないんだ。多数決によって、とんでもない間違いが決まることだってあるということだ。 だから、多数決に頼らないで、「対話」を続けることが大切だとぼくは思っている。 多数決を取ってもいいのは、ジャンケンと同じで「たいした問題じゃない」時なんだ。 4人で遊びを決める時も、君の体調が悪くないなら、対話した後、多数決がいいかもしれない。でも、本当は、4人が同じぐらいマイナスで、同じぐらい満足する解決方法を見つけられたら、多数決より何倍も素敵な仲間だと言えるだろう。
国会はいつも多数決?
「でも、国会ではいつも多数決ではないですか?」 彼女がまた質問しました。 そうだね。それは、すべての議題を深く議論する時間がないからだね。国のいろんな問題は「待ったなし」だから。それでも、ちゃんとした議論をしないで、いきなり多数決にすると「数の暴力」なんて言われたりするね。 練習メニューをいきなり多数決で決めたりするのは、避けた方がいいと思う。どんな練習がいいと思っているのか、対話した方がいいことは山ほどあるよね。それは、国会と違って「待ったなし」じゃないと思うよ。 クラスで話し合うことも同じだよね。 「文化祭で何をするか?」なんて議題の時に、簡単に多数決を取らないで、いろいろと対話してみるのがいい。みんなが「たいした問題じゃない」と思っているのなら、多数決でいい。でも、誰かが心底嫌だとか、苦手だと思っている企画が候補に入っているのなら、多数決で決めるべきじゃないんだ。 多数決は万能の解決手段じゃないってことだ。 「でも、学校では多数決でよく決まります」 別の女子中学生が言いました。 うん。それは残念だけど、多数決の問題点に大人たちが気付いてないんだ。でも、君たちはもう理解しただろう。 『「自分の好きなことは相手も好きだ」…親切の押し売りをしていませんか? 今こそ知るべき“シンパシー”と“エンパシー”の違い』へ続く
鴻上 尚史
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