作家・城山三郎さんが特攻取材で来訪…「軍服ではない普段着の写真はないか」遺族へ熱心に聞く
太平洋戦争中に米軍機が撮影した全国の空襲映像を次々と発掘し、注目される大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」。塾頭の平田崇英さん(75)は、かつて特攻隊が配置され、多くの人が戦死した同市から、平和への思いを伝え続ける。 【写真】宇佐海軍航空隊の掩体壕前で思いを語る平田さん
作家、城山三郎さん(1927~2007年)は、忘れられない人になった。集大成の小説「指揮官たちの特攻」は、大分県宇佐市の「宇佐海軍航空隊」が舞台の一つで、取材を手伝う機会に恵まれたのだ。
1999年、豊の国宇佐市塾の催し「横光利一の世界」で、講演を依頼したことが縁で交流が始まった。海軍特別幹部練習生として終戦を迎えた経験を持つ城山さんに、塾が手がけた本「宇佐細見読本 宇佐航空隊の世界」などを贈ると、「航空隊のことを小説に書きたいと思っている。本に登場する10人ほどに会いたい」と連絡があった。
同じ年、県内各地で暮らす特攻隊の元搭乗員や遺族宅を一緒に訪ねて回った。遺族にアルバムを見せてもらった城山さんが、「軍服ではない普段着の写真はないか」「もっと顔がわかるものを」などと熱心に聞く姿は心に残った。
また別の日には、「取材で長崎に向かう途中、30分間だけ宇佐に立ち寄るから、(宇佐市が展示する特攻兵器の)『桜花』の風防ガラスを見たい」と連絡があった。「写真を撮って大きさや厚さも測って知らせる」と答えたが、「いや、行くから」とわざわざ訪ねてきた。
出来上がった小説には、搭乗員たちがこのガラス越しに最期の景色を見たことに思いを致す文章がつづられていた。
「作家の目は、実物の風防ガラスを通して、搭乗員たちが目にしたであろう、沖縄の海や空を見ていたと知った。『この作品ができたら、いつ死んでもよい』とまで語っていた」
城山さんの次女、井上紀子さん(65)(神奈川県茅ヶ崎市)は、「父は直接自分の目で見て、聞かないと気が済まないたちで、相当わがままを言ったと思う。平田さんの尽力あっての作品だと思っているでしょう」と話す。
「城山さんは『宇佐はいろいろなことを感じ、考えさせる町だ』と語った。むしろこの言葉は、我々に贈られたものではないか。戦争と平和について、もっと学んでいかなければならないと誓いを新たにした」