〈田原総一朗“朝生”事件簿〉「お前ら、テレビをなめてんのか?」天皇制という“タブー”に切り込んだ放送回、CM中にスタジオに下りてきたプロデューサーが出演者を一括して…
全身ジャーナリスト #3
昭和・平成・令和をまたぐ唯一無二の深夜討論番組『朝まで生テレビ!』。 1988年に、それまでタブー視されてきた「天皇制」を扱った裏話を書籍『全身ジャーナリスト』より一部抜粋し紹介する。今だから語ることができる真実とは。 【写真】戦時中の日本兵
いまこそ正面から天皇制を論じるべきだ
主権者である市民に対し、彼らが判断するのに必要な情報を提供するのは、ジャーナリストの使命だ。情報のチャンネルが多いほど民主主義を強固にすることができる。 ジャーナリズムがその民主主義の下支えというミッションを果たすためには、もっとテレビのパワーを活用すべきだし、それは十分できる、というのが僕の意見だ。 新聞には販売店を経由して売るという特徴がある。新聞商品の中身がどうであろうと、販売店ネットワークがしっかりしていれば新聞は売れる。 かつて読売新聞の務臺光雄(元社長)という販売の神様が「読売と名が付けば白紙でも売ってみせる」と豪語したといわれる。 逆にそこに乗って殿様商売をしていると、新聞商品自体の劣化を招くこともあるのだが。 新聞に比べて、テレビは視聴者が見てくれなければダメなわけだ。視聴者に見てもらうための商品作りにものすごい努力をする。つまり、新聞以上にマーケットに鍛えられる部分がある。 それともう一つ、扱うテーマやネタ、切り口の観点からいえば、テレビの方が自由度が高いのではないかと僕は思っている。新聞という組織は、上とは喧嘩しにくい。一記者が正論を言っても通用しない。 それを受け入れるかどうかは社内幹部陣によってのみ決められており、新しいこと、世の中の底流に動いていることにまで届かない。ある意味狭い。 それに比べて、テレビはマーケットがストレートで広い。見てくれなければ商売にならないから、見てもらう。見てもらうと視聴率という数字で反応が出る。 企画段階でクレームが付いた番組でも視聴率という天の声が出ると正当化される。つまり、視聴率を楯に、上とも喧嘩ができる。僕はこれでやってきたわけだ。 端的な例を一つ挙げる。 テレビで初めて天皇制を取り上げた時のことだ。 「朝まで生テレビ!」を始めた翌年の1988年、昭和天皇が吐血して重体になった。病状は日々悪化、新聞、テレビは「ご容体」報道を連日繰り返し、日本中が自粛ムードに包まれた。歌舞音曲だけではない。言論が途轍もなく不自由な感じになった。 ここでまた僕のへそ曲がり根性が目覚めた。この異様な自粛ムードのなか、いまこそ昭和天皇論を正面からぶつけるべきではないかと。 なぜか。戦中派の僕には、昭和天皇の戦争責任にこだわりがあった。戦争があそこまで戦線を拡大し、ついには2つの原爆を投下されるに至った原因は何か。それは天皇の統帥権だった。 軍部がこれを利用、国民も政治もこれを抑えきれずに暴発させた結果があの敗戦だった。となれば、天皇にもまた戦争責任があるというのが僕の考えだった。