【中村憲剛×田中ウルヴェ京】自分の弱いところや嫌な部分こそが宝箱だよと伝えていきたい
後編
ソウル五輪シンクロデュエット銅メダリストで、スポーツ心理学者の田中ウルヴェ京さんと中村憲剛さんとの対談はいよいよ後半戦に。「現役時代の自分」をふたりで振り返りつつ、奥深きメンタルトレーニングの世界、そして現代において切り離せないSNSとの向き合い方について話が進んだ。(取材・構成/二宮寿朗 撮影/熊谷 貫) 【画像】やさしいまなざしで中村さんの話をしっかり聞くウルヴェさん
嫌だった自分を受け入れたことで前に進めた
ウルヴェ 憲剛さんと話をしてきて感じたのは、小さいころから大好きなサッカーを楽しんでいくために悩みながらも凄く工夫をしてきたんだなってこと。 中村 本当にコンプレックスのかたまりでしたから。背は低い、足はあんまり速くない、線は細い。そんな自分が嫌でしたけど、受け入れたことで前に進めましたね。 ウルヴェ 悩みを解決しようと(工夫を)やり続けたことで、道が拓かれていくっていうのは私も一緒かな。 中村 京さんの小さい頃はどうだったんですか? ウルヴェ 小学生のときに小さなスイミングクラブで競泳をやっていたんですが、大会で大きなスイミングクラブの子と一緒にコースに並んだだけでビビってしまう子でした。大きなクラブの子はみんなとしゃべってリラックスしているのに、自分は急に体が震えてしまって。どうしてそんなことでって思われるかもしれないけど、私にとっては貴重な原体験でした。これじゃダメだって思えたから。 中村 シンクロに転向されて、のちのソウル五輪で銅メダルを獲得されます。 ウルヴェ 現役の頃、自分で笑っちゃうくらい、顔つきが悪かったんですよ。憲剛さんに当時の写真を送ってあげたい。だけど、それだけ苦しんでいたんですよね。何かうまくいかないことがあっても最初は思いっきり人のせいにして怒る自分がいるんだけど、よくよく考えると全然人のせいじゃないことがわかってきちゃう。そうすると人のせいにして逃げる自分にイラつくし、ちゃんとできない自分がイヤ。自信がないから、人に対しても鎧しかない状態でした。だから昔の自分には頑張ったね、偉かったねって言ってあげたい(笑)。憲剛さんは、そういった鎧がなさそう。 中村 そんなことないです。僕も尖っていたとき、ありましたよ。 ウルヴェ えっ? ちょっと意外かも。 中村 プロサッカー選手としてはそういったところがないと、たぶん生き抜いていけないんで。僕、メチャメチャ負けず嫌いだし、気が強い。現役時代に京さんと会っていたら、違う印象を持たれていたかもしれないです。 ウルヴェ それは私もそうかもしれません。(人に)なぜ負けちゃいけないのかよく分かっていないのに、絶対負けちゃいけないって思っていたから。今思うと、認めてもらいたかったってことなんだとも思います。 中村 勝負の世界に生きていると、自然とそうなる気はします。人に認められたいのもそうですし、自分で自分を認めたいところもあるじゃないですか。自分の期待に応えたいっていう思いが現役のころはありましたね。 ウルヴェ 自分で自分を認める、ね。私の場合は今になってようやく認められましたよ。「京ちゃん、偉かった」って(笑)。でもそのころの自分、ホント嫌いだったなあ。