映画『夜明けのすべて』: 三宅唱監督がそっと押す小さな感動のツボ
松本卓也(ニッポンドットコム) パニック障害の発作を怖れ、人に心を開かなくなった男性と、まじめで思いやりがあるが、月に一度、生理前だけ人柄が豹変(ひょうへん)してしまう女性。『夜明けのすべて』は、社会生活に自信を失った2人が出会い、相手を助けたい思いで一歩前へと踏み出す物語だ。NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で夫婦役を演じた松村北斗と上白石萌音が共演し、『ケイコ 目を澄ませて』の三宅唱監督がじんわりと心に染みる温かい物語に仕上げた。
「生きづらい」という言い方が世に浸透してきたのはここ10年ほどだ。以前は「生きるのがつらい」とか「生きにくい」と言ったはずだが、それではニュアンスが出ないのだろう。「生きにくい」状況に「つらい」と感じる心情が入り混じるこの表現は、「生きづらさ」と名詞化されると、そのままこの時代の空気を表しているようにも思われる。 少なからぬ人がさまざまな原因で、社会で生きていくことに困難を感じている。そんな時代に、映画作家は何をどう語ればよいか。感傷にひたることも冷笑することもなく、現実を真摯に捉えて、その問いをひたすら考え抜き、見事に答えを出してきたのが三宅唱という監督だろう。昨年、数々の賞に輝いた『ケイコ 目を澄ませて』に続く彼の最新作が『夜明けのすべて』だ。
大企業では働き続けられない若者たち
前作は聴覚障害のある女性プロボクサーという特別な存在を中心に描いたが、本作の主人公は町の小さな会社に勤める、どこにでもいそうな男女。ごく平凡な2人だが、ともに世間から理解を得にくい悩みを抱えている。 「藤沢さん」(上白石萌音)はPMS(月経前症候群)によって月に1度、イライラが抑えられなくなり、同僚らに当たり散らしてしまう。翌日はお菓子を買って謝って回るのが恒例になっている。 会社に入って間もない「山添くん」(松村北斗)も、タイミング悪く彼女の逆鱗に触れ、無残に罵倒されてしまった。ただし藤沢さんが怒るのも無理はないと思えるくらい、山添くんの態度にも問題がある。だが無気力で自分勝手に見える彼もまた、パニック障害という病に苦しんでいたのだ。 PMSもパニック障害も近年になって存在が知られる程度にはなってきたが、そのつらさが正しく理解されているとは言い難い。発症すれば、他人の目には“問題行動”としか映らないおそれがある。そのせいで社会生活に影響をきたし、転職に追い込まれる人もいるという。 この物語の2人も、利潤を追求する大企業の論理の下では働き続けることができなくなった若者だ。転職した先は、「栗田科学」という科学工作キットの零細企業。家庭用プラネタリウムや顕微鏡などを作り、販売している。栗田社長(光石研)以下、同僚たちは2人の問題にも理解を示してくれる。 そんなアットホームな職場で働くうち、2人にも相手を助けようという意識が芽生えてくる。観客は日々の小さな出来事を通じて、彼らの言動を追いながら、そうした心の動きを読み取っていく。わざとらしい設定や衝撃的な事件を用意することなく、じんわりと心に響かせる描き方が秀逸だ。