関西では人気者 東京では無名? 月亭八光が東京に行かない理由
その1つが、交友関係の広さだ。「携帯電話のアドレス帳の9割が会社社長」とも言われる“社長芸人”の顔も、八光の武器となっている。「何か困ったことがあっても、八光さんに相談すれば、不動産、飲食、金融…その道のプロである社長を紹介してくれると言われるくらい、幅広い人脈を誇っています」(関西を拠点にする放送作家)。 ■月亭八方の息子じゃなくても売れていた 社長付き合いで培った飲食店の知識や、相手を決してイヤな気分にさせない振る舞い。そして、こまめに宴席に駆け付けるフットワークの軽さなどから、“ナニワの接待王”とも言われるが、この人付き合いのよさは社長に限ったことではなく、芸人仲間に対しても活かされている。 テレビ収録や劇場出番が終わっても、テレビ局や楽屋に残り、先輩後輩問わず人を探して飲みに行く。この積み重ねが、今日の八光を作り上げたと言っても過言ではない。 「極論を言うと、八光さんは八方さんの息子さんじゃなくても、人気者になったと思います。結婚当初、ほとんど家に帰らない生活にいらだちを見せていた奥さんに対して『今、毎日夕方5時に家に帰ることもできる。でも、それではつながりを生まないし、5年後、10年後に話すネタもなくなる。そうなると、君ら家族を養えなくなる。今日、人と出かけることは、未来のための投資なんや』と説得したといいます。この姿勢を徹底しているのが、八光さんのすごいところなんです」(前出放送作家)。 ■人気者・八光が大阪を離れない理由とは また、ほとんどの芸人が、大阪で売れると東京進出を目標にするが、八光が大阪を離れることがないのは、八光が落語家であるということにも理由がある。 というのは、大阪でメディア的にバリバリ活躍していた若手落語家というと、八光のみという状況が続いていたが、数年前から、月亭方正(元・山崎方正)、桂三度(元・世界のナベアツ)らテレビの人気者が上方落語界に参入してきた。
「実は、大阪でお笑いの世界を目指す若者にとって、落語がある意味、狙い目になっています。漫才やコントでトップを取るのは至難の業ですが、それに比べると、ライバルの数はそこまで多くない。八光さんは『若手落語家』というカテゴリーの仕事を一手に引き受けているとも言えます。しかも、落語は年齢を重ねるごとに味が増す芸で、一生できる仕事。将来的には上方落語の担い手となっていくでしょうし、東京に出て行く意味がほとんどないというのが、本当のところだと思います」(在阪テレビ局スタッフ)。 とはいえ、八光の活躍する姿を、ぜひ東京でも見てみたい気もするが…。 (文責・中西正男/株式会社KOZOクリエイターズ)