『やめろぉぉ!』天龍源一郎の「53歳」に柴田勝頼が白目 リングサイドのケンコバは叫んだ
ケンドーコバヤシ 令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(11) 前編 (連載10:「ハンセンがハンセンじゃなかった試合」全日本のリングで見せた珍しいファイト>>) 【写真】天龍と柴田の30歳差の激闘! ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー 子どもの頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤシさんが、独自の目線で名勝負を語り尽す連載。第11回は、ケンコバさんの人生にも深く関わっているという、天龍源一郎と柴田勝頼の壮絶な試合を振り返る。 【あり得ない「53歳」と「PK」の打ち合い】 ――今回の語り継ぎたい「名勝負」はどの試合ですか? 「今回は、自分自身の人生に深く関わっている試合について話したいと思います。一部で『ケンドーコバヤシが格上げされた一戦』と言われている試合ですね」 ――人生に深く関わっている......格上げされた......詳細はじっくり聞けたらと思いますが、その試合とは? 「2004年11月13日、大阪ドームで行なわれた天龍源一郎vs柴田勝頼です」 ――「闘魂祭り」と題された大阪ドーム大会の第6試合でしたね。この年、両者は8月のG1クライマックス、 10月の両国国技館と連戦しましたが、いずれも天龍さんが暴走して反則負け。この大阪ドームでの試合は"決着戦"として行なわれました。 「そうですね。僕はこの大阪ドーム大会のチケットを買って、リングサイドで観戦していたんですが......この試合は、マニアの間で『プロレス界の謎』とも囁かれている伝説の一戦でもあるんです。 天龍さんは、全日本プロレス時代の"第三の男"阿修羅・原さんと起こした天龍革命、全日本を離脱してからのSWS旗揚げ、独立して設立したWARでの新日本との対抗戦など、数々の歴史に残るムーブメントを起こしました。この2004年当時も、何回目かわからない"天龍ブーム"が巻き起こっていた。それが"53歳ブーム"です」
――「53歳」とは、2003年に53歳を迎えた天龍さんが開発した新技ですね。ブレーンバスターの態勢から垂直落下で脳天をマットに突き刺す荒技ですが、天龍さんはこの技を引っ提げ、年齢を超越した闘いを繰り広げていました。 「今までプロレスの名シーンと呼ばれる攻防は、例えば『小橋建太vs佐々木健介』(2005年7月18日@東京ドーム)での"チョップ合戦"のように、打撃技や同じ系統の技を精魂尽き果てるまで打ち続ける試合が多かった。ただ、この『天龍vs柴田』は、柴田選手の必殺技『PK』と天龍さんの『53歳』という、系統が違いすぎる技を打ち合う試合になったんです」 ――柴田選手の「PK」は、尻もちをついた相手の胸板に、自らが走り込んで強烈な蹴りを放つ必殺技ですね。 「打撃技のPKと、投げ技の53歳が交錯する攻防は、おそらく過去も今のプロレスでもあり得ない展開です。まず天龍さんが、53歳で柴田選手の頭をマットに打ちつける。ところが柴田選手は、天龍さんより先にムクッと立ち上がってロープに向かって走りだし、反動をつけてPKを叩き込む。 それに対して、天龍さんは手で肩をはらって『効いてねぇよ』と言わんばかりに立ち上がり、53歳を見舞う。柴田選手は再び脳天をマットに突き刺されるんですが、またも天龍さんより先に立ち上がってPKを浴びせる......このすさまじい攻防をリングサイドで目の当たりにした俺は、我を忘れて『やめろぉぉ!』と叫んでいました」 【謎だった、天龍のえげつない攻撃】 ――なぜ『やめろ』と叫んだんですか? 「PKと53歳の攻防の途中くらいから、柴田選手が白目をむいていることがリングサイドからハッキリと確認できたんです。天龍さんの53歳は、脳天をマットに突き刺すフィニッシュホールド。技の系統が違いすぎるあの攻防では、明らかに柴田選手のほうがダメージが深くなるんです。 白目をむいた表情を見て、柴田選手が脳震盪を起こしていると思いました。その危険な状態で柴田選手は、PKで反撃するためにロープへと走る。脳震盪状態での全力疾走は、『鍛えに鍛えたプロレスラーでも無理や!』と危険を感じたんです。だから『やめろ』と叫ばずにはいられなかった。衝動が抑えられませんでしたね」