ファットマンと似た形 模擬原爆パンプキンの爆風を受けた大阪の寺
模擬原爆の衝撃伝える寺で、当時の惨状知る女性が講演
また、爆心地の様子を見た時、周囲の電線に布団や人の衣服がひっかかっているのを見た。そして、よくみたら電線に人の内臓もぶらさがっているのを見て衝撃を受けた。 「もうできることなら忘れたい」。その時から約50年その事実を口にすることはなかったが「落とされた爆弾が模擬原爆だった」という報道見たり、周囲から「後世に伝えていくことは大事」と言われ、いまでは語り部になった。 約50年たって、米軍が情報公開をし、名古屋の市民団体がその中から見つけた「模擬原爆」の事実。米軍が広島・長崎へ原爆を落とす前に、落とした際に自分たちが被爆しないよう、すぐに旋回してその場から離れる練習をするために、この模擬原爆を落としていたことを知った。 田辺の模擬原爆では7人の命が奪われ、うち1人が自分も知るトシちゃんだった。「こんな模擬原爆で亡くなったって、悔しいしやりきれない」。龍野さんは、今でもこのことを恩楽寺などで語る際は、必ずトシちゃんの話もしているという。 「生きている限り、この事実を伝えていきます」と龍野さん。今年もすでに5校ほど、この同寺で講演をしている。講演などの関係者は「田辺の模擬原爆を知って、広島・長崎の原爆のことは、遠い出来事ではないという人が増えてきている。この事実を語り継いでいかなくては」と話している。 ・戦後70年 未来に残す 戦争の記憶~100年後に伝える、あなたの思い~