ヤクルト・奥川恭伸、号泣980日ぶり勝った 〝野球の神様〟は見放さなかった5回79球1失点、村上が!木沢が!オスナが!燕戦士みんなで背番号「18」支えた
22年3月29日の巨人戦(神宮)で右肘の痛みが限界に達し、4回1失点で緊急降板。その後は複数の医療機関を訪ねた。手術を含むさまざまな治療の選択肢が挙がる中、自ら最善策を模索すべく、話を聞いて回った。「ドクターや治療の先生と常に連絡を取っていた」。眠れず、一晩中考える日もあった。
あらゆる意見を聞き、最後は「自分の感覚と一番、マッチする」と手術を受けない道を選んだ。週に1度、多いときには週に3度、自費で大阪の医療機関に行き、リハビリに励んだ。「(大阪に)行かせてくれた球団に感謝している。だからこそ、僕が決めた道で成功しないといけない」。強い覚悟とは対照的に、復帰への道は困難を極めた。
左足首の骨折、右足首の捻挫、右脇腹の負傷、腰痛…。右肘が良くなった後も、けがが重なり、1軍のマウンドが遠かった。「頑張れ」との声援に「頑張っているよ」と負の感情がわく。応援の言葉すらつらく感じた。
「もういいやって。野球が嫌いになったというか、自分からやめようと思ったこともあった」
支えになったのは、原樹理や近藤弘樹らリハビリ仲間との会話。近藤からは「俺の方がリハビリが長いぞ。なんで自信をなくしているんだ。お前が思っているよりもお前はすごい」と励まされた。「ネガティブなときに光をくれる人がいた。その人たちのためにも野球はやめられない」と奥川。けがをしないフォームや体づくりに注力し、ようやくつかんだ恩返しの1勝だった。
「(選んだ)道が間違いじゃなかったことを証明したいと思っていた。そういった意味で報われた。これからまた勝ちに向けて一生懸命、腕を振りたい」。一回り成長した背番号18が、再びマウンドで輝く。(武田千怜)