女子レスリング、米国コーチしている山本聖子の今
「63kg級のエレナ(=ピロズコワ、2012年世界選手権1位)は組み技や組み手が好きな選手ですが、腰が高いために得意なところが生きていないと本人にも話してきました。でも癖というのは変えづらいから、なかなか試合でうまくいかない。ところがW杯の日本との試合では、構えも低くなってプレッシャーをかけていて、良いところがすごく出ていました」 対戦相手が日本ではやりづらくなかったかと訊くと「勝負ですから、どんなことがあっても全力を尽くします。でも、力みすぎてもいけないし、他の試合と同じ気持ちで挑みました」と、コーチとして全力を尽くしたという返事が返ってきた。 星条旗をあしらった紺色のジャージを着た聖子の姿はTeam USAに溶け込んでおり、試合前に円陣を組んで「Go! USA!」と選手と一緒に叫ぶ姿もすっかり板についていた。だが、コーチとして働き始めてしばらくは、どうしたらよいか分かず迷っていたという。 「コーチをすること自体が初めてでしたし、人に教えるというのは本当に難しいです。もっと知識を頭に入れて理解して、自分もできるようになって、体でも伝えられるようにしないと。選手と一緒に体を動かして伝えることが、私に求められていることだと思っています。日本人のレスリングのスタイルは独特です。まったく同じことを彼女たちに求めることはできませんが、バランスの良さやレスリングに慣れている部分は見習うべきところです。たとえば日本の練習はスパーリングを毎日、長めにやるのが特徴ですが、見習って単純に時間を長くするのではなく、選手たちが集中してできる範囲で長くするように心がけています。集中力がない状態で時間をかけても、よい練習になりませんから」 そして、人に教えることがメインとなる関わり方をするようになって、初めてレスリングに取り組む上での違う視点を持てるようになったという。 「自分が現役選手だったときを振り返ると、せいいっぱい客観的に考えていたつもりでしたが、やはり限界があった。できないことにこだわり過ぎて、自分の得意なことを生かしきれずにいたと思います。でもコーチになったら、もっと客観的に見ないとならない。できないことにこだわり過ぎず、どうやって選手の良さを生かして勝ちに結びつけるか。人間は何か月かですごく変われます。実際に、変わっていってくれる選手を見るととても嬉しい。その変われる部分を信じて選手にはレスリングを続けてほしい。そして、私は選手が結果を出せるコーチになりたいですね」 コーチという職業に就いたので改めて訊かれることもなくなったが、現役引退をはっきりと宣言したことはない。そのときの人生にあった形でレスリングを続けるつもりだから「引退」という言葉はしっくりこないようだ。コーチとしての仕事をまっとうしつつ、いま住む場所から近い柔術クラブにも通い、試合に出ることもある。新しいことにどん欲に取り組む姿勢は、どんな形でもレスリングを続ける上で糧になるだろう。 約1年前に五輪中核競技から除外されて以来、レスリングは女子への普及と地位向上がたびたび問題点として指摘されている。問題解消の解決策に、やはり日本のような強国のノウハウを世界へ広げ競技水準を高めることも必要な事項のひとつだろう。世界を4度制した"聖子のレスリング"は、トップクラスの女子レスリング普及に貢献するに違いない。 (文責・横森綾/スポーツライター)